書評

毒のあるユーモア

文: 佐藤 優 (作家・元外務省主任分析官)

『中国化する日本 増補版  日中「文明の衝突」一千年史』 (與那覇潤 著)

 私がいま一番注目している日本の知識人は與那覇潤氏だ。同氏の博士論文を改稿して上梓した『翻訳の政治学 近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店、2009年)は、沖縄県の成立過程(琉球処分)に関する歴史に残る研究だ。100年後に琉球処分に関する研究論文をまとめる学者も参考文献表にこの本を必ず入れることになる。博士論文の結論部で、與那覇氏は、「中国化する世界」という作業仮説を提示している。優れた知識人は、学術論文で難解な術語を駆使し、緻密に展開した議論を、レベルを落とさずにわかりやすく言い換えることができる。『中国化する日本』は、最先端の歴史研究の成果を踏まえた上で、グローバリゼーションとどう対峙すべきかというきわめて実践的な問題を扱っている。與那覇氏は、グローバリゼーションの起源は中国の宋朝のときに成立したと考える。

〈宋朝時代の中国では、世界で最初に(皇帝以外の)身分制や世襲制が撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が、広く江湖に行きわたることになります。科挙という形で、官吏すなわち支配者層へとなり上がる門戸も開放される。科挙は男性であればおおむね誰でも受験できましたので、(男女間の差別を別にすれば)「自由」と「機会の平等」はほとんど達成されたとすらいえるでしょう。
 ……え、「結果の平等」はどうなるのかって?
 もちろん、そんなものは保障されません。機会は平等にしたわけですから、あとは自由競争あるのみです。商才を発揮してひと山当てた人、試験勉強に没頭して頑張りぬいた人にのみ莫大な報償を約束し、それができないナマケモノは徹底的に社会の底辺に叩き落とすことによって、無能な貴族連中による既得権益の独占が排除され、あまねく全員が成功に向けて努力せざるを得ないインセンティヴが生み出されるのです。〉

 與那覇氏が主張する中国化とは、経済においては、自由競争が奨励されるが、政治権力は皇帝に独占された自由がないシステムだ。もっとも競争に敗れた人たちが餓死するようでは社会が維持できない。それだから父方の祖先が同じであれば、身内とみなして助け合うという「宗族」というセイフティーネットが中国社会には埋め込まれているのである。

 中国と、逆の方向を指向したのが日本であると、史料を巧みに編纂し、興味深い物語を與那覇氏は展開している。

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中国化する日本 増補版
與那覇潤・著

定価:700円+税 発売日:2014年04月10日

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