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人の世の哀しみを妖怪に托して

人の世の哀しみを妖怪に托して

朝宮 運河

『定本 百鬼夜行 陽』 (京極夏彦 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

巻末に収められた「目競(めくらべ)」の主人公は、破天荒な言動で知られるシリーズの探偵役・榎木津礼二郎だ。見たくないものが見えてしまう特異体質の榎木津が探偵になろうとするまでを描いたこの作品は、シリーズ全体の前日談ともなっている。

「ラストを榎木津の話にするというのは、早い段階から決めていました。対になる『百鬼夜行 陰』のラストが関口(シリーズ第1作『姑獲鳥<うぶめ>の夏』などで語り手を演じる小説家)の話なので、『陽』は榎木津にしようと。でも榎木津の一人称は書けないんです。内面のありようが常人とはかけ離れ過ぎていて、そのまま書いたらおそらく意味が分からないものにしかなりませんね。『目競』は探偵になる前だし、三人称にしてかなり距離をとったので、なんとか書けましたが」

死や狂気に接近した物語が多いなかで、榎木津の内面的な変化を描いたこの「目競」は、作品全体を照らす一条の光となっている。著者が『百鬼夜行 陽』というタイトルにこめたものとは?

「この短篇集には『青行燈』『青鷺火(あおさぎのひ)』『墓の火』と火にまつわる作品が幾つか入っています。火や光は〈陽〉ですね。しかしお化けですから〈陽〉のわけはない。陰火というのは〈陰中の陽〉なんですね。これは、水をかけると消えずに燃える。暗いところでより光る。そのせいか、話自体はおおむね暗いんですけど、『陽』というタイトルをつけた段階で、じめじめと鬱ぎこむような暗さではなくなった気もしますね。人生、暗いなりにもなんとかやっていこう、というか。それほど意図したわけではありませんが、図らずもそうした並びになったように思います」

不気味で怖ろしげな姿をもった妖怪たち。しかし、その背景には、物事を前向きにとらえる心の動きが潜んでいるという。デビュー以来怪異の世界にこだわり続けてきた京極さんに、妖怪の本質についてうかがった。

「よく混同されますが、オカルトと妖怪は似ているようで違うものです。お墓参りに行ったら花束がぱたりと倒れた、ああ、死んだお祖母ちゃんが挨拶してくれたんだな、と考えるのはいいでしょう。優しい気持ちから発したものだし、個人的にそれで納得できるなら間違ったことではありません。でも『だから死後の世界はあるんだ』と一般化してしまうのは飛躍でしかないですね。そこから『先祖の祟りで何をやってもうまくいかない』というところまでは、あと1歩です。オカルトはネガティブな心と結びつきがちなんです。妖怪は正反対です。生きていれば、悲しいことも辛いこともある。理不尽な思いもしますね。そういうことは、乗り越えろといわれる。でも、そううまくはいかないですよ。解決できないなら、忘れたり見て見ぬふりをするしかないですが、それも無理がある。でも、いつまでも後ろ向きな思いに浸っているわけにもいきません。そんな時、妖怪は役に立つ。哀しい出来事や辛い現実を妖怪というキャラクターに托せば、笑ったり小馬鹿にしたりできる。そうやって、ネガティブなものごとをポジティブに変換し、共存していこうということですね。そういう心の動きが妖怪を生みだしたんです。妖怪の多くは悲惨な背景を持っていますが、キャラクター化することで滑稽なものに変わる。退治もできるし祓い落とすこともできるんです」

悲惨な現実をキャラクター化することで生まれてきた存在、妖怪。こうした文化的な装置は世界的にも例がないのではないか、と京極さんは言う。

「『水に流す』のは日本人の悪いところだと思われています。隠蔽し、なかったことにすると勘違いされています。でも、出来事そのものを消してしまうわけではありません。水に流すのは穢れであり、ネガティブな心のありようなんです。日本人は物事を概念化することに長けている。江戸時代の戯作などを見ると、『楽しい』と『哀しい』を喧嘩させたりしています。妖怪もそれと同じ発想ですね。おそらくこうした発想は海外では生まれにくい。妖怪という言葉は翻訳不可能なんです」

『百鬼夜行 陽』で描かれた10の物語は、どれも哀しく怖ろしい。だが取り憑いているものが妖怪である限り、それは祓い落とすことも可能なのだ。日本古来の怪異が紡ぎだす豊かな幻想世界を、じっくりと堪能してほしい。

「もちろん、シリーズ本編があっての作品ではあるのですが、本編を読んでいなければわからないものではありません。本編を知っていることを前提としなければ成立しない作品であれば、短篇小説として切り出す意味はないですね。シリーズであれ、スピンオフであれ、独立した作品になっていなければいけないと思っています。シリーズを未読の方にこそ読んでもらいたい気もします。それに、収録作のうち『墓の火』『蛇帯(じゃたい)』の2作は長篇次回作『鵺の碑』のサイドストーリーなんです。こちらはまだ出版されていませんから、誰も本編を読んでいないはずです。本編のほうの詳細はまもなく明かされると思いますので、そちらもお愉しみに」

なお、本書と対になる既刊『百鬼夜行 陰』も文藝春秋より同時発売。これまで各編によってばらつきがあった表記を統一するなど、定本と呼ぶにふさわしい内容になっている。こちらも併せてご覧いただきたい。

定本 百鬼夜行 陰
京極夏彦・著

定価:1838円(税込) 発売日:2012年03月17日

詳しい内容はこちら

定本 百鬼夜行 陽
京極夏彦・著

定価:1838円(税込) 発売日:2012年03月17日

詳しい内容はこちら

『定本 百鬼夜行 陰』『定本 百鬼夜行 陽』特設サイトはこちら

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