書評

服飾探偵の面目躍如

文: 亀和田 武

  私はお洒落(しゃれ)にほとんど興味がない。ファッションの知識もほぼ皆無だ。なのに服飾評論家である出石尚三さんの名を雑誌で目にすると、必ずページに目を通す。なぜだろう。たぶん出石さんが直接とりあげる物がシャツやネクタイであっても、その関心がじつはもう少し違った方角を向いていることが、じんわり伝わるからだ。

  出石さんは、私にはフランスの映画監督ジャック・タチの「ぼくの伯父(おじ)さん」のような存在だ。多くの人には、出石さんの本は実用書かも知れない。しかし私には出石さんの博識そのものが楽しい。その博識をベースに、魅力的な人物や商品が軽やかに語られ、ときに脱線していくプロセスと筆づかいが心地よい。世の中のために役立つかどうかわからない沢山のことを教えてくれる楽しい伯父さんが出石さんなのだ。

  『福沢諭吉  背広のすすめ』は、そんな出石さんの“伯父さんテイスト”があふれた一冊だ。長年、男の服を語ってきた出石さんはご自分を「服屋」と呼ぶ。そして「ありとあらゆる『服』の中で基本となるのが、背広である」。しかし肝心の「背広」の由来と語源が、まだ判然としていないのだ。「服屋」の熱い血が騒いだ出石さんは、明治期の資料を十数年前から調べ始める。そしてついに「背広」の鍵(かぎ)を握る男は、あの福沢諭吉らしいと目星をつけた。

  諭吉が別名で慶応(けいおう)三年(一八六七年)に書いた『西洋衣食住』の中にはビジネスコートの語がある。絵入りの本なので、それがじつはサック・コート(背広)だとわかる。言葉こそちょっと違ったが、百四十年以上前に背広の概念を紹介したのはまぎれもなく諭吉だったのだ。

  その三年後の明治三年に、ついに「せびろ」の語が登場する。『絵入智恵の環』という西洋新知識の副読本においてだ。この本の書き手の一人が、諭吉の人脈につながる者だと著者は突きとめる。服飾探偵の面目躍如である。さらに明治六年には、紳士服の型紙集の中に初めて漢字表記で「背広」が出てくる。

  さて、ここからいくつもの語源説が検証されていく。幕末から明治初期に舶来師と呼ばれた洋服技術者が、背の広い服を「せびろ」と呼んだのではないか。この説に出石さんも与(くみ)する。職人言葉だから、ただ「せびろ」と呼ばれたが、型紙集を出すに至り「背広」の文字が使われた、と。

福沢諭吉 背広のすすめ
出石 尚三・著

定価:788円(税込)

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