- 2009.01.20
- 書評
動物と植物の共生に何かが起こっている
文:福岡 伸一 (分子生物学者)
『ハチはなぜ大量死したのか』 (ローワン・ジェイコブセン 著/中里京子 訳/福岡伸一 解説)
ジャンル :
#ノンフィクション
植物と昆虫の共生関係は、自然界の動的平衡が最も精妙な形で実現されたものだといってよい。花は、私たちヒトの心を和(なご)ませるためにあるのではない。ハチをはじめとする虫たちの心を捉えるため、進化が選び取ったものである。もし、私たちが和むとすれば、それは均衡の精妙さのためであるべきだった。私たちはその観照をたやすく放擲(ほうてき)して、ただひたすら効率を求めた。高収益をもたらすアーモンドの受粉のために、ミツバチたちは完全に工業的なプロセスに組み込まれた。そして極端に生産性を重視したハチの遺伝的均一化が進められた。ハチを病気や寄生虫から守るため、各種の強力な薬剤が無原則に使用された。
この結果、何がもたらされたのか。ミツバチたちのコロニーは、崩壊寸前の、まさに薄氷の上におかれたのだ。
そしてそれがやってきた。狂牛病のケースと全く同じく、それは人為が作りだした新たな界面の接触を利用して、たやすくハチに乗り移ってきたのだ。ハチは狂いだした。細かく役割分担されていた集団の統制がたちまち乱れ、ハチたちはある日一斉に失踪する。女王蜂と夥(おびただ)しい数の幼虫、そして大量のハチミツだけが残され、巣は全滅する。
病原体の正体はなお明らかではない。この点も狂牛病と似ている。この本の三章、四章にあるとおり、ここには病気の媒体としてある種のウイルスが関与しているように見える。ハチのコロニーが崩壊した巣箱を再利用すると、新しいコロニーも全く同じ症状に陥るからである。スクレイピー病が発生した草地で、新たに羊を飼うと感染が起こることに酷似している。原因が未知のウイルスなのか、あるいはその他に起因があるのか、それは今後の研究に期待するしかない。
本書は単に、ハチの奇病についてレポートしたものではない。より大きな問題についての告発の書であり、極めて優れた環境問題の書であるといえる。それは私たち人間が、近代主義の名において、自然という動的平衡に対して無原則な操作的介入を押し進めた結果、何がもたらされうるか、すでに何がもたらされたかという告発である。狂牛病は、そして蜂群崩壊症候群は、まぎれもなく動的平衡状態が乱されたことを示す悲痛な叫び声であり、自然界からのある種の報復でもある。
では、私たちは一体どうしたらよいのだろうか。その答えも本書の中にある。病気に対して手当たり次第、薬を飲むごとく、操作的な介入を行うごとき行為の果てに答えは存在しない。答えは、自然界が持つ動的平衡の内部にしかない。病気に耐性を持つハチとして本書で紹介されるロシアのミツバチたちが身をもって示したことは何だったか。病気への対応は、乱された動的平衡状態が、次の安定状態に移行する過程で見出される復元力(リジリエンス)としてしかあらわれることはない。本書の最も重要なメッセージはここにある。復元もまた動的平衡の特質であり、本質なのだ。
事態はさらに深刻であり逼迫(ひっぱく)している。私たちはひょっとするとその復元力さえも損なうほどに、自然の動的平衡を攪乱(かくらん)しているかもしれないのだ。
ある人が私に語った言葉が忘れられない。狂牛病を防ぐために何をすればよいか。
それは簡単なことです。牛を正しく育てればよいのです。
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