- 2009.01.20
- 書評
動物と植物の共生に何かが起こっている
文:福岡 伸一 (分子生物学者)
『ハチはなぜ大量死したのか』 (ローワン・ジェイコブセン 著/中里京子 訳/福岡伸一 解説)
ジャンル :
#ノンフィクション
頭が痛い、お腹の調子がわるい、風邪をひいた、咳(せき)がでる。頭痛薬、整腸剤、風邪薬、去痰(きょたん)剤……。なにかというと、私たちはすぐに薬を飲む。そしてなんとなく治った気分になる。この間に起こったことは一体何だろう。生命現象における動的平衡がいっとき乱れ、そのシグナルとして不快な症状が表れ、まもなく動的平衡が回復されたのである。薬が何かを治してくれたわけではない。薬は単に、不快な症状が表れるプロセスに介入して、それを阻害しただけである。ひょっとするとその介入は、動的平衡状態に干渉して、復元を乱しただけかもしれない。
動的平衡は、生物の個体ひとつに留まっているわけではない。平衡が動的であるとの意味は、物質、エネルギー、情報のすべてが絶え間なく周りとのあいだで交換されていて、その間に精妙な均衡が保たれているということである。動的平衡の網目は自然界全体に広がっている。自然界に孤立した「部分」や「部品」と呼ぶべきものはない。だから、局所的な問題はやがて全体に波及する。局所的な効率の増加は、全体の効率の低下をもたらし、場合によっては、平衡全体の致命的な崩壊につながる。
その原題を「実りなき秋」(Fruitless Fall)と名づけられた本書『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著・中里京子訳)は、アメリカのミツバチのあいだに急速に拡大しつつある奇妙な病気、蜂群崩壊症候群(CCD, Colony Collapse Disorder)について克明に書かれたものである。二〇〇七年までに北半球のハチの四分の一、三百億匹が死んだというのだ。
薄皮を一枚ずつ剥(は)いでいくように謎を追う筆致はスリルを極め、近年読んだ科学ノンフィクションの中でも出色だ。
この本を読みながら、私の頭の中で、ずっと二重写しになっていたことがある。それは狂牛病の問題だった。狂牛病禍は、食物連鎖網という自然界のもっとも基本的な動的平衡状態が人為的に組み換えられたことによって発生し、その後の複数の人災の連鎖によって回復不可能なほどにこの地球上に広まった。
乳牛は、文字通り、搾取されるために間断なく妊娠させられ続ける。そして子牛たちは、生まれるとすぐに隔離される。ミルクは商品となり、母牛の乳房を吸うという幸福な体験を覚えた子牛を母牛から分離するのが困難になる前に。子牛たちを、できるだけ早く、できるだけ安く、次の乳牛に仕立て上げるために、安価な飼料が求められた。それは死体だった。病死した動物、怪我で使い物にならなくなった家畜、廃棄物、これらが集められ、大なべで煮、脂を濾(こ)し取ったあとに残った肉かす。それを乾燥させてできた肉骨粉。これを水で溶いて子牛たちに飲ませた。死体は死因によって選別されることなどなかった。そこにはあらゆる病原体が紛れ込んだ。それだけではない。安易にも人々は、燃料費を節約するため、原油価格が上がると工程の加熱時間を大幅に短縮した。こうして、羊の奇病であるスクレイピー病に罹患して死んだ羊の死体に潜んでいた病原体が、牛に乗り移った。消化機能が未完成の子牛たちに感染することなど、病原体にとってそれこそ赤子の手をひねるよりも簡単だったに違いない。ほどなくして、病原体は、牛を食べたヒトにも乗り移ってきた。草食動物である牛を、正しく草食動物として育てていれば、羊の病気が種の壁を越えて、牛やヒトに伝達されることは決してなかった。牛が草を食べるのは、自然界の中で自分の分際を守ることによって全体の動的平衡状態を維持するためである。三十八億年の時間が、それぞれの生命に、それぞれの分際を与え、その関係性に均衡をもたらしたのだ。できあがるまでにとてつもない時間がかかる動的平衡は、しかし、ほんのわずかな組み換えと干渉と介入があれば、一瞬にして破られることがある。
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