──確かに観光ではありえないルートです。旅の途中で、衿子の心と身体は様々に変化しますね。七十歳の心持ちになったり、「九歳のわたし」になったり、さらには「九歳のわたし」を二十一歳のわたしが自覚したり……。身体もLLサイズまで太ったり、そこからまたしぼんだり、めまぐるしい。唯野さんは映像のお仕事もされていますが、こういう場面を映像にするのは難しいのではないでしょうか。
唯野 難しいと思います。文章の世界ではお金をかけずに好きなことができますね(笑)。物語の中で衿子の心と身体を変化させたのは寓話ならではのことですが、そこには自分を確立していない人間は、自分一つの顔だけでは生きていけない、という意味も込めています。特に若いうちは他人に合わせて自分を変えてしまいがちですから……。
衿子はあくまで寓話の物語の中の人物で、あまりリアルな存在ではありませんが、その変化は読者にわかるように具体的に書きたかった。それを行き過ぎないように書くのはとても難しい作業だったので、担当編集者の方に表現がOKかどうか、連載中は何度も相談をしました。
──旅の同行者であるラーさんは、ときおり衿子に「や、せ、な」と言います。そのときの衿子は必ずしも太っているわけでありませんが、やはり動揺します。こういう箇所は読んでいて物事の価値観を尋ねられているような気がしました。あなたが太っていると感じる基準はどこか、そしてそれは美か醜かどちらなのかと。
唯野 そういう要素はあるかもしれませんね。容姿のことをいえば、現在は痩せていれば痩せているほど美しいとされるようですが、太っていることを豊かさの象徴として「善」とする価値観も必ずあるはず。年老いることにしても今は嫌われるばかりですが、実際に年をとってみると色々なことがどうでもよくなって結構楽しいかもしれない。旅の中で様々に変態する衿子の姿を読んだ方が、自分なりの新しい価値観を発見してくれたらいいですね。
──衿子とラーさんは長野の安曇野にやってきたとき、マシマロ工場のパート・「松本パルコ」(本名松本春子・三十一歳・女性)と出会います。パルコは二人の旅に合流し、さらにその後、家を借りて三人で一緒に暮らし始めます。三人で暮らし始める直前には、衿子が九歳のときに彼女の母親に起きた出来事が明かされ、このあたりから物語がクライマックスに向かう大きな動きを感じました。
唯野 衿子に大きな影響を及ぼしたあの出来事を書くタイミングは、最初から中盤以降にと決めていました。ラーさんが「あいしてる」といえない理由を告白する場面をクライマックスにすることも。衿子がその二つをほんとうの意味で咀嚼(そしゃく)するためには、旅をして様々な体験をする時間が必要だったからです。
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