2012.05.15 書評

「松方デフレ」の意義を問う歴史小説

文: 末國 善己 (文芸評論家)

『日本銀行を創った男 小説・松方正義』 (渡辺房男 著)

 渡辺房男は、デビュー作『桜田門外十万坪』以来、通貨統一、土地制度、株式など、近代に入って始まった経済政策をミステリータッチの物語にした経済時代小説という独自の世界を切り開いている。経済官僚としての大隈重信に光を当てた『円を創った男』からは、歴史小説にも進出。一代で巨大銀行を作り上げた安田善次郎の生涯に迫る『儲けすぎた男』も話題となった。

 明治経済小説の第三弾『日本銀行を創った男』は、“松方デフレ”を断行して財政の健全化と物価の安定に成功した松方正義の半生を描いている。

 物語は、大蔵大輔の松方が、大久保利通から西郷隆盛との戦争が避けられないと告げられる場面から始まる。西南戦争の戦費調達を命じられた松方は、大量の不換紙幣を発行してインフレを起こした戊辰戦争の反省から、政府が発行する紙幣の量を抑えるため、国立銀行(政府の認可を受け、資本比率に応じた紙幣の発行権も持っていたが、純粋な民間銀行)の活用を思い付く。

 司馬遼太郎『翔ぶが如く』など西南戦争を描いた作品は多いが、経済の視点を導入したのは本書が初めてではないだろうか。西郷軍によって、練り上げた戦費調達プランを突き崩された松方が、財源確保のために奔走する前半は、西南戦争が経済の戦争であったこともよく分かるのではないだろうか。

 経済の最前線で戦った松方も、結局は軍に押し切られ大量の不換紙幣の発行に踏み切り、インフレを招いてしまう。上司の大隈重信は、本位貨幣の銀貨の価格を安定させれば、インフレは収まると考えていたが、パリ万博の仕事で渡仏した時、フランスの大蔵大臣レオン・セイに、通貨量を一元的に管理する真の意味の中央銀行を作り、不換紙幣を回収しなければ景気は安定しないとの助言を受けていた松方は、日本銀行の創設に動き始めるのである。

 西南戦争が引金となったインフレは、米を売って生計を立てている地主をより豊かにする反面、給与所得者の庶民や金禄証書の利息で生活している士族はわずかな食料も買えなくなり、多くの自殺者を出していた。これはインフレとデフレの違いはあるものの、長引くデフレで企業収益が悪化し、賃金カットやリストラが進んで格差が広がっている現代と、驚くほど似ている。

【次ページ】松方が現代の官僚や政治家と異なるところ

日本銀行を創った男 小説・松方正義
渡辺房男・著

定価:1680円(税込) 発売日:2012年05月10日

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