書評

「松方デフレ」の意義を問う歴史小説

文: 末國 善己 (文芸評論家)

『日本銀行を創った男 小説・松方正義』 (渡辺房男 著)

 格差社会を招いた責任を痛感する松方は、政府と国立銀行が発行した不換紙幣を日本銀行券に置き換える作業を進めると、物価が下るデフレになり、景気を支えていた地主に大打撃を与えたり、市中に金が出回らなくなったりして、一時的に今より不景気になると確信していた。それでも、この「荒療治」を乗り切れば、庶民が飢えない国になると考え改革を進めるのである。

“痛み”を強いるところは同じだが、松方が現代の官僚や政治家と異なるのは、国民に負担をお願いする以上は、まず自分たちの身を切るべきであると考え、それを実践していることだろう。

 松方は、各省庁に財政の厳しさを説明して「冗費節減」を徹底。自身が大臣を務める大蔵省の明治15年度予算は、前年度の約半分しか計上しなかったというのだ。さらに、不平等条約改正のため鹿鳴館を建設したいという外務省、緊迫が高まる朝鮮半島情勢を理由に軍備拡張を求める陸海軍などとも、正面から戦っていくのである。

 自分が信じる政策を実現するために、真っ先に身を律し、プラス面もマイナス面も含めた効果を丁寧に説明する松方を見ていると、なぜ現代の政治家の言葉が、国民に響いてこないのかもよく分かるはずだ。それだけに、松方の理想に共鳴する若手官僚はもちろん、政府の銀行の役割を担っていた安田善次郎が、日本銀行ができるとその業務を奪われると知りながら、損得抜きで協力する場面は、深い感動がある。

 若き日は、大久保利通に命じられ日田県(現在の大分県と福岡県の一部)の行政官になり、日本銀行創設の前には、内務官僚として地方の置かれた厳しい状況を見てきた松方は、地方を変えれば中央も変わると考えるようになるが、ここにも現代の日本を再生するためのヒントがあるように思える。

 本書を読んでいると、『円を創った男』で絶讃された大隈重信の経済政策が批判されていたり、『儲けすぎた男』で安田善次郎を大銀行家にした国立銀行制度も、野放図な紙幣発行でインフレの一因を作ったとして否定的な評価がなされたりしている。だが著者は、維新直後の混乱を救ったこれらの経済政策を頭から否定するのではなく、ある時期に必要だった政策も、時が経てば不要になるどころか、国政の足を引っ張ることもあるとしているのだ。

 明治の経済政策を複眼的にとらえた本書を含む3冊は、未曾有の経済的な危機に直面しながら、前例主義から抜け出せず、松方のような抜本的な改革ができない現代社会の問題点までを、浮かび上がらせてくれるのである。

日本銀行を創った男 小説・松方正義
渡辺房男・著

定価:1680円(税込) 発売日:2012年05月10日

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