2013.11.13 書評

『平城山を越えた女』解説

文: 山前 譲

『平城山を越えた女』 (内田康夫 著)

 名探偵・浅見光彦シリーズは、老若男女を問わず多くの読者の支持を得ている。ただ、男性読者からあえて不満を言わせてもらえば、彼はあまりにもてすぎる。事件ごとに美しい、あるいは可愛らしいヒロインが登場し(詳しくは祥伝社刊『浅見光彦の秘密』参照のこと)、浅見光彦の鳶色の瞳に魅せられていくのだから、羨ましいことかぎりない。

 スラッとした体型に、お坊っちゃん風ながらも知性的な顔立ちの浅見光彦が、同性から見ても魅力的な男であることは認めよう。けれど、あそこまでもてなくても……。思わず、彼には稲田佐和という心に決めた人がいるのだと、ヒロインたちに耳打ちしたくなるのだが、それはやはり嫉妬心というものだろうか。

 浅見光彦の事件簿のほとんどにヒロインが登場している。なかには彼とキスをした羨ましい女性もいた。そんな数多いヒロインのなかでもとりわけ印象深いのが、この『平城山を越えた女』の阿部美果だ。二十五歳の彼女は広隆寺の弥勒菩薩にそっくりだという。これほど顔形が明確なイメージのヒロインも少ない。人によってはもっと繊細で美しい仏像に似ているとも。いずれにしても、仏像のような慈悲深い顔立ちである。

 彼女は大手出版社で編集者をしているが、神社仏閣がひと一倍好きで、独りでお寺巡りをしたり、仏像を鑑賞するのを趣味としている。文芸雑誌から美術全集へ配置転換となり、気持ちを切り替えようと、京都から奈良を回ることにした。そこで、取材中の浅見光彦とひょんなことで知り合う。初対面の翌日、偶然にも奈良で再会すると、美果はふいに目頭が熱くなって、涙が込みあげてくる。浅見光彦はまたもや女性の恋心をかきたててしまったのだ。罪作りな男である。

 その美果が殺人事件にかかわって警察に追われているとなれば、取材もそっちのけで探偵行に熱中してしまうのは無理ないだろう。ただでさえ、不可解な事件を知ればじっとしていられない浅見光彦である。ホトケ谷と呼ばれる薄暗い谷で発見された女性の身元が分らないとか、昭和十八年に盗まれた新薬師寺の香薬師仏の行方とか、浅見光彦の好奇心を大いにそそる事件がこの『平城山を越えた女』なのだ。

 その浅見光彦がよく原稿を書いている(書かされている?)のは『旅と歴史』という雑誌で、今回もそこの藤田編集長から依頼された取材だった。雑誌名そのままだが、旅と歴史こそ内田作品の重要なモチーフである。

 浅見シリーズの舞台は、沖縄で事件の起った『ユタが愛した探偵』でついに各都道府県すべて網羅された。ルポライターの仕事で、誰かに依頼されて、あるいは母親の雪江未亡人のお供で、名探偵は日本各地に足跡を記してきた。初登場の『後鳥羽伝説殺人事件』以来、探偵行での移動距離は何万キロになるだろうか。

 浅見光彦は観光地や名物料理にも興味を示しているけれど、その視線は、旅情のひと言では括れない。旅行者ならなにげなく見過ごしてしまいそうな、その土地とそこに住む人たちの本質的な部分に注がれていく。

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平城山を越えた女
内田康夫・著

定価:600円+税 発売日:2013年11月08日

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