語池(かたりーけ)は旅がちで,そうでなくても二百じかん三百じかんをへだてたゆるやかなやくそくで気もちのふたんにならなかったし,たびぞこをわずかしかよごさないすがすがしい広間は,ごみだらけの日日におもいがけなくまぎれこんできた静かな箱だった.もちろんそんなひかえめな利点どころか,その気になれば語池(かたりーけ)の力は物書きとしての私に決定的ないみをもつはずであったが,踊り手としてぬすんだしたしみをそんなふうに使いまわす気にはなれないまま千にちばかりが過ぎ,語池(かたりーけ)の長い旅と私のひっこしとのかさなりから改まったくぎれ目なしに遠ざかってしまった.
よく知られた鎖国期の一きょくを,のぞまれたぶぶんだけくりかえしたり動きを分解してきわめて遅くやってみせたりする,なにか作品のための必要と興味からの二どか三どというりんじしごとのはずで,舞踊団の事務所を通して言ってきた.朝荒(あさーら)や輪荒(わーら)はべつに私が物を書いているなどと知ってまわしてくれたわけではなく,つとまりそうななんにんかのうちでは住まいも近く,霧根(きりね)ほどいそがしくもなさそうだというくらいの人選だったろうが,私にしてみればいきなり隠れみのを手わたされたようなことだった.
舞踊団からのしごとは受けていいかどうかかならず月白(つきしろ)にたしかめるならわしなのですぐ話すと,歌城(うたしろ)でなくてざんねんだったとからかうつもりで月白(つきしろ) はわらっていた.まだ十代なかばのころだが,私が物を書いていると知った月白(つきしろ)が,どういう作家を読んでいるのかときいたことがあり,ちょうどそのころ華やぎだしていた若い歌城(うたしろ)の名を私があげたのをおぼえていたのだった.からかわれたつもりに応じたものの,語池(かたりーけ)にはいくつか透き通るような傑作があった.もしも語池(かたりーけ)に権勢だけがあって作品を好きでなかったら,利用する気になったろうか.ときにほかの作家たちや出版人たちと囲む晩餐の卓で,語池(かたりーけ)から踊り手として遇されるいかさまを享楽した.いかさまではあるが張らなければ内実のあやういたぐいのいじであり,張り通したことで語池(かたりーけ)をもにくまないですんだのだった.
別れるや私は語池(かたりーけ)に拮抗する一人の物書きであったが,語池(かたりーけ)にとってはねぐらもさだかでない一びの狐と晦(くら)むのである.
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『男女最終戦争』石田衣良・著
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