マンションの一室で、夫婦が胎児もろとも惨殺された。陰惨な現場での捜査から一夜明けて、出勤した警察署は外観も内部も昨日とはすっかり変わり、直属の上司はもう3年前に定年退職しているという。何と、一夜にして6年の時が経ってしまっていたのだ! その間の記憶を喪ったまま、彼は女性記者と共に、被疑者死亡ですでにケリがついているというあの事件を洗い直していくことに――。中国語で書かれた本格ミステリの新人賞である島田荘司推理小説賞の第2回受賞作、陳浩基の『世界を売った男』はある猟奇殺人の真相と、自己の喪われた記憶という2つの空白を追う。第1回受賞作の寵物先生(ミスターペッツ)『虚擬街頭漂流記』が仮想現実を舞台に、滅びかけている“街”と“個”を再構築しようと試みる物語だったとすれば、こちらは既に喪われた“世界”を取り戻そうと現実の街路を彷徨う物語だ。
香港の雑踏を背景に、記憶を喪った空虚な男の陰鬱が元気のいい女性記者に引きずられるうち、次第にほぐれていく自己回復のさまは重いものを孕みながらもきわめて軽快。喪われた記憶や、殺人を巡って遺された人々の悲痛といった感情・心理と、手がかり・足場のほとんど無い中、暗中模索を重ねる推理、そして何者かに狙われるサスペンスや活劇がバランスよく絡み合っている。それがさまざまなサブカルチャーの摂取と咀嚼の上に成り立っているであろうことは、会話の中に登場する刑事物のタイトルやキャラクターなどにも見て取ることが出来る。
中でも『時空刑事1973』というイギリスのTVシリーズは、双方を知る者なら主役コンビならずとも連想するところだろう。現代の刑事が事故による昏睡状態から目覚めると、1973年だったという設定は、目覚めたら“未来”であったという本作と表裏の関係だし、時間を超えてある事件が引きずられている――というかそれを解決するためにこそ時間が飛び超えられる点や、主人公が周囲に抱く離人症めいた疎外感も共通している。そもそも『時空刑事』の原題“Life on Mars”はデヴィッド・ボウイの同名曲から来ているが、シングルカットされたそのB面こそが“The Man who Sold the World”、つまり“世界を売った男”。そして、この鏡像関係は単なるくすぐりや目配せ、表面的な類似に留まらず、もっと深い部分で響き合っている。
ボウイ自身の父の死や、精神病院に入っている兄の存在が影を落としているといわれる『世界を売った男』の“僕はコントロールを失いはしない/君の前にいるのは世界を売った男なのだ”という歌詞(フレーズ)から浮かび上がるのは、絶望的なまでに強い疎外感だ。では、本作の登場人物たちはどのように“世界を売っ”て、“コントロール”を保とうとするのか。それを語るのに20世紀に“発明”され、人間の歪みを押し広げるために発達してきたある概念と、それを利用したミステリ趣向をもってするがゆえに、本作は島田荘司の提唱する“21世紀本格”的である。
本作の舞台となるのは香港。150年間にわたり、イギリスの植民地として西洋文化と経済的発展を享受しながら、中国五千年の歴史もまた忘れなかった街であり、共産主義国家の中にあって資本主義と自治を保つ、一国二制度の街でもある。そして、それを造ったのが19世紀、アヘン戦争という西洋文明の暴力的な流入によってであることを思えば、近代によって古いアイデンティティを引き裂かれたところに出来た街だともいえるだろう。さらに、この物語の核となる概念―― 心的外傷後ストレス障害(PTSD)もまた、第一次世界大戦――大量生産・大量消費が史上初めて殺戮に向けられた場においてその萌芽を見、20世紀を通して物質文明や情報化社会の歪(ひず)みに対する反作用のような側面を発達させてきた。我々は科学の発達によって、自身の中にある“病”を発見してしまったのだ。
また、最重要容疑者として浮上する男が映画という虚構の世界で、主人公の代役というさらなる虚構を体現するスタントマンであること、その彼と白人の女医が互いの役割を演じ合う心理療法の場、さらには記憶を取り戻せないまま、“刑事である自分”を演じ続ける語り手等々、本作は引き裂かれた、寄る辺なきアイデンティティのモティーフに満ちている。
とはいえ、香港の住民が中国語と英語、2つの名、2つのアイデンティティを持ちながらそれを難なく使いこなしているように、通常我々は引き裂かれた自分を形ばかり繕うだけで、特に不自由も意識せずに生きている。だが、ひとたびその裂け目に挟まってしまえばどうなるか。
語り手は個を顧みず、貪欲に発展成長し続ける香港の街に対する違和感をしばしば表明する。そして、その中で起こった殺人の陰惨な真相を、埋められた墓の中から徹底的に掘り起こしていく。いったん“病”に気づいてしまった者は、医者ならぬ探偵として、その病理をどこまでも追究するしかないのだ。たとえ自分もまた病人であるかも知れないとしても。