ホームレス歌人の存在については後から噂には聞いたことはあった。だが同時進行で彼の歌を読んでいたわけではなかったし、新聞雑誌においてこれほどの話題を巻き起こしていたことも実はこの本を読むまで知らなかった。しかしすぐれたノンフィクションはそんなこととは無関係に読者を作品世界にひきこむものだ。私には書かれているテーマが自分のまったく興味のない分野でもそんなことはお構いなしに本を選ぶ傾向があるが、それはたとえノンフィクションであろうと、その本の良し悪しを最終的に決定するのはテーマそのものよりもむしろテーマに対する著者の思い入れの強さであり、そして構造や構成や文体であるという個人的な信念があるからである。
とりわけ本書の作品性で最も優れているのは全体の構造だと思う。残された36首の歌の中からキーワードを拾い集めて、それを手掛かりにホームレス歌人の居所を推測するあたりはミステリー仕立てで、読者としてはやはり彼が見つかるのか見つからないのかが駆動力となってページをめくってしまうのだ。捜索の手がかりは残された歌だけ。そして時折ぶつかる断片情報。背中が一瞬見えたように思わせて、ふっとまたどこかへ消えてしまうホームレス歌人の影は、どこか霞を追いかけるような感じがして、くしくも私が同時期に作品化しようとしていたヒマラヤの雪男を思い起こさせた。
そしてこの歌人探しが先導役となって、読者はいつしかなじみの薄い野宿者たちの居住空間と精神世界に入り込んでいる、というつくりになっている。ホームレスたちは過去の傷をなめ合い、各々の境遇を相憐れむようにしてコミュニティーを形成しているのかと思いきや、実はそうではなく、彼らは相手を下手に信用したら痛い目に遭うので、お互いに過去や本名を明かさないで高い匿名性を保持したまま生活しているという。そのため三山さんの歌人探しは難航せざるをえないのだが、しかし臨場感あふれる文章に乗せられて、こちらもまたその捜索に同行しドヤ街をお邪魔している気分になってくるのである。
本書に登場する中でとりわけ私がハッとさせられたのは吉田という男の言葉だった。ホームレスはリストラや派遣切りにあって職を失い、やむにやまれず路上で暮らしはじめるわけでは必ずしもない。その前に生きることに心が折れてしまって自然と社会から離脱していくかたちで、さほどの屈託もなく野宿をはじめるというのだ。そんな牙を抜かれたような男の生々しいもの言いは、私に生きることの残酷さと人間の弱さを思い起こさせ、さらにそこに本人もある意味で崖っぷちの境遇にある三山さんの自己語りも重なってきて、何だかみんなのことが他人事とは思えなくなってくるうちに、あっという間に読み終えてしまったのだった。
そういえばこんなにノンストップで読み終えた本は、久しぶりかもしれない。