- 2011.01.20
- 書評
ア・マン・フォー・フォーシーズンズ
──ホテル文化は外見ではない
文:松坂 健 (西武文理大学サービス経営学部教授)
『フォーシーズンズ――世界最高級ホテルチェーンをこうしてつくった』 (イザドア・シャープ 著/三角和代 訳)
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
フォーシーズンズといえば、こんな思い出がある。
バブル絶頂期の一九八〇年代半ば、僕は「月刊ホテル旅館」という、ホテル旅館のマネジメント専門雑誌の編集長をしていた。当然、海外のホテル動向も取材領域で、海外にカメラマンを派遣して、新しいホテルの撮影もお願いしていた。そんなある日、カナダでできたばかりのフォーシーズンズの撮影を頼んであったカメラマンから、緊急の国際電話がかかってきた。声は悲壮感漂うものだった。「編集長! ホテルのロビーにカメラを置き忘れて外出してしまいました。見つかりません。バッグにしまっていた撮影済みフィルムも一緒です」
機材は買い換えれば済む話だが、撮影済みのフィルムは取り返しのつかない財産だ。結構のんびり屋の僕でも、この時は青ざめた。しかし、二、三時間してから、また電話があった。カメラが見つかったというのだ。「いやあ、ホテルスタッフが気を利かして、しまっておいてくれたんですが、そのことの連絡が遅れて、逆に謝られてしまって……」
こんなこと、なんてことないと思われるかもしれないが、こと北米に限って言えば、奇跡に近いことなのだ。相当なクラスのホテルでも、ロビーの隅に置き忘れられたカメラは持ち去られたまま、出てくることはまずない。ロビーにいる誰かが持っていくし(今だって、ロビーには怪しい人が生息していると思う)、言いづらいことだが、ホテルのスタッフがある種の“役得”として持ち帰ることも多い。実際、天皇が泊まるほどの格式というロスの某名門ホテルに六泊させてもらったときに、法外な電話代を請求されたことがある。推測だが、ハウスキーパーの人たちが、勝手に長距離電話を使っていたのだ。こんなホテルでもそんな状態だから、フォーシーズンズでカメラが出てきたということは驚きなのだ。
実は、その後、同社につとめていた日本人スタッフに、従業員の身元調査には半端なくお金を使っていると聞いた。活字にしにくいのだが、窃盗とか、前科の有無には特に神経質とか。
かくて、僕の中で、このホテルは人の忘れ物を持っていくようなお客が泊まっていない、そして不心得の従業員もいないホテルと評価が定まった。もちろん、これは最高の評価だ。
そんな思い出を呼び起こしてくれたのが、本書『フォーシーズンズ』だ。
このホテルチェーン、日本の知名度ではザ・リッツカールトンには及ばないが、世界のホテル通の間でエクセレントホテルといえばここになる。英国の金融雑誌が毎年行うホテルランキングでも常に上位には、このチェーンのホテルがいくつも入ってくる。