ブラックユーモアという言葉からは、皮肉めいた風刺のきいた笑いのなかにも、エネルギーを感じる。ガイコツが思いきり笑ってるようなイメージだ。本作品にもブラックユーモアを感じた。しかしエネルギーというより、ひたひたと忍び寄る冷たい不協和音が癖になる。たとえば、包丁で手元が狂い指を切ってしまったときより、まっすぐな紙の辺がスラッと指の皮膚を切り裂き、血がにじんだのを目撃したときのほうが、よっぽどぞっとするのに似てる。
主人公の桑町淳は少年探偵団の一員である小学生。身近な人たちが殺されて、その都度「神様」と呼ばれている、同級生の鈴木太郎に真犯人の名前を聞きに行く。「神様」は本作品では他の登場人物たちを超越した存在であり、毎度犯人の名前をぴたりと当てるが、殺人までの経緯や動機などは教えてくれない。
この筋書きだけ見れば、コミカルな印象を受けるが、本文はたとえば江戸川乱歩の描く少年探偵団の活気はあまりなく、どこか無機質だ。子供たちも大人顔負けの、難しい言葉で会話して、著者ははなから主人公が少年であることに、リアリティーを持たせようとは考えてない風に読める。それがかえって不気味で、黙々となにか不吉な事象を連ねている感じがして、つい夜更かしして読み進めてしまう。感情を抑えた筆致には、正確さと殺人現場の義務的な報告書のような冷たさが同居している。
段々と解明されてゆく、犯人のアリバイ、現場の説明、時間経過の流れが、非常に詳細に書き連ねてあり、少年探偵団と共に推理できる文章構成になっているのも、この小説の特徴だ。犯人がわかってる分、なぜあの人が?と、犯人と容疑者を、線でつなげてゆくおもしろさもある。
私のように、ミステリは好きだけどあまり詳しくなくて、勘のにぶい者には、種明かしの瞬間に本当に心から驚ける喜びがある。緻密な計算に基づいた世界に、心おきなく迷い込めた。