彼女たちとの出会い
中村 私が杉本さんと親しくなったのは2001年、取材旅行の途中に福岡に寄って食事をご一緒してからなんですが、もっと以前、文藝春秋の社員だった時代に直木賞の社内選考委員をやっておりまして、そこで彼女の『東京新大橋雨中図』(88年下半期直木賞受賞作)を読むんです。これは歴代直木賞受賞作の中でもベストじゃないか、というくらいすばらしい作品でした。
諸田 私も大好きな作品です。2008年に杉本さんと初めて対談の仕事でお目にかかったとき、初版でボロボロになるまで読んだ『東京新大橋雨中図』を持っていったらすごく喜んでくださいました。
中村 そうでしたか。お2人とは、私が選考委員を務めていた中山義秀文学賞を2001年に『余寒の雪』で宇江佐さんに、翌年『おすず 信太郎人情始末帖』で杉本さんに受けていただいたという縁もあります。宇江佐さんとは授賞式で初めてお目にかかったんですけど、パーティの後でえらく盛り上がって、二次会でツイストを踊ってらした覚えがあります(笑)。
諸田 カラオケがお好きで、ユーミンとかよく歌っていましたね。
中村 諸田さんが宇江佐さんと出会ったのは?
諸田 ずいぶん前ですが、私がほとんど初めて小説を書いた『歴史ピープル』という季刊誌のグラビアに宇江佐さんが登場されていて、その姿が印象に残っていたんですね。その後、2000年に私がはじめて吉川英治文学新人賞の候補になった時に、宇江佐さんも候補になって、受賞されたので、もの珍しさに授賞パーティーにうかがいまして……。
中村 落ちたのに行ったんですか?
諸田 落ちた人は普通は行かないという作家の世界のことをよく知らなかったんです(笑)。宇江佐さんもびっくりされていたけど、「いらっしゃい」と初対面なのに二次会にも誘っていただき、すごく気が合って、よく電話するようになった。杉本さんとも2008年の対談のあと、よく電話するようになりました。
中村 僕も杉本さんとはよく電話でお話ししました。彼女は電話がお好きですもんね。綺麗な声だし、美しい日本語を使われるので、毎回聞き惚れていました。
諸田 お電話するといつも、2、3時間は話していました。ちょうど杉本さんも私も認知症の親の介護をしていて、その症状がそっくりだったんです。「こういうときはこうだよね」とか言いながら夜中まで喋っているうちに一気に親しくなりました。
中村 杉本さんはご両親の介護と執筆を優先して、本人は自分の身体がおかしいと思っていても治療をほとんどしなかったんですよね。
ことに彼女は、昔、小児麻痺をされてから常に松葉杖を使ってらした。乳がんの手術をすることで、松葉杖を脇で挟めなくなるのは困るとおっしゃって本格的な手術はしなかったし、わずかな間でも書けなくなってしまうことを恐れて抗がん剤を使わなかった。
諸田 宇江佐さんも抗がん剤で書けなくなる可能性があるのがイヤだと言っていました。
中村 お2人のがんが分かったのは2年くらい前でしたかね。
諸田 ええ。ほとんど同じ時期に、まるでお2人で相談したかのように教えてくださったんです。
中村 僕が杉本さんから聞いた時は、淡々と何気ない話をするように「がんになっちゃって」とおっしゃるので、驚きました。うちの女房や娘とも仲が良くて、電話を代わっても同じように粛々と告げていて、すごいなあ、と思ったものです。
諸田 基本的にものすごく明るいですよね。
中村 そうそう。
諸田 それは宇江佐さんも同じでした。宇江佐さんは「杉本さんと話した?」、杉本さんは「宇江佐さん、どーお?」と私に聞いてこられるんですが、お2人の病気のことを話しているのに、なぜかいつもこっちが元気をもらうような感じで。タイプは少し違いますが、潔いというか、まさにお2人がお書きになっている時代物の中の女性のようなたたずまいがありました。
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