今や時代小説は花盛り。特に職業や家族をテーマにした市井人情物のシリーズが、女性読者を中心に支持を集めている。
だがこの隆盛は一朝一夕に生まれたものではない。ブームが来るまで、市井人情物の屋台骨を支えてきたふたりの功労者がいる。
「髪結い伊三次捕物余話」の宇江佐真理と「信太郎人情始末帖」の杉本章子だ。
以前より親しかったふたりは、はからずも同じ時期に乳癌という同じ病に罹り、宇江佐は昨年十一月七日に、杉本はそれから一ヶ月も経たない十二月四日に、まるでお互いが寂しくないようにと思い合ったかのごとく、相次いでこの世を去った。
訃報を聞いてそれぞれの作品を手にとった。少しめくるだけのつもりが、そのまま「髪結い伊三次捕物余話」十五冊と「信太郎人情始末帖」七冊を読み切ってしまったのには自分でも驚いた。途中で止められなかったのだ。すでに何度も読んでいるのに続きが気になって、登場人物たちの行く末を確認せずにはいられなかった。それほどまでにこの二シリーズは魅力的で、実によく出来ている。
ともにスタート地点が似ていることにもあらためて気づかされた。どちらも最初は捕物帖として始まり、次第に家族小説へ移行する。主人公には相思相愛の女性がいるのに結婚できない事情がある。また主人公の仕事を通じて、江戸職業小説としての側面も持つ(これらの初期設定は、市井人情物シリーズの先駆者・平岩弓枝の「御宿かわせみ」にも共通している)。
「髪結い伊三次」が登場したのは九五年。オール讀物新人賞を受賞した短編「幻の声」がそのままシリーズ化され、二十年にわたって書き続けられてきた。
廻り髪結い(店を持たず客の家を回って仕事をする)の伊三次が、同心・不破友之進の手下として活躍。髪結いという職業を利用して各所で情報を集め、捕物に協力するという趣向だ。
伊三次の恋人は深川芸者のお文。ふたりが所帯を持つまでのすったもんだも読ませるが、結婚して子供が生まれ、同心・不破家の子供も含め、彼らが育っていくのが実に楽しい。
未完のまま現在のところ最新刊である『竈河岸(へっついがし)』では、すでに物語の中心は第二世代に移っている。シリーズ開始時に二十五歳だった伊三次も四十代半ば。レギュラーメンバーの二十年近い変化をずっと追いかけていられるのが最大の魅力だ。
杉本章子は歴史小説家としてデビュー。八八年に『東京新大橋雨中図』で直木賞を受賞した実力派だが、市井物のシリーズは九九年開始の「信太郎人情始末帖」が初挑戦だった。
呉服太物店の後継で許婚もいた信太郎が、吉原の引手茶屋のおかみ・おぬいと惚れ合ってしまったため勘当され、芝居小屋で働くようになる。小屋の描写に加え、四巻『きずな』までは捕物帖として謎解きのレベルが高く、ミステリーファンにもお勧めだ。
ところが五巻である事件が起き、実家に戻らざるを得なくなる。おぬいの嫁入りには母と姉が大反対。ここから物語は家族小説へと舵を切る。果たしてふたりは無事に結ばれるのか。安政の大地震を描いた六巻『その日』は出色の出来。
伊三次も信太郎も、捕物の面白さに始まり、職業、風俗、家族、ロマンス、そして地域の人々と、市井時代小説の粋がすべて詰まっている。七〇年代に平岩弓枝が切り開いたこのジャンルを受け継ぎ、支えてきたこのふたりの遺産は、長く読み継がれるにふさわしい傑作シリーズなのである。