折原一の小説を読んでいるといつも、エドガー・アラン・ポーが登場する以前の最古のミステリーのひとつであり、世界最初のSF小説とも言われるある作品のことを思い出す。『フランケンシュタイン』だ。
英国の女流作家メアリー・シェリーのデビュー作として一八一八年に出版された本作は、人造人間およびそれを生み出した者の悲劇を描いた物語であり、「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく怪物を生み出した科学者の名前である──というトリビアはクイズ番組等々でさんざんこすられ耳に入っている人が多いだろう。しかし、この物語が手紙から始まっているという事実は、あまり知られていない。
四通にわたるその手紙は、青年ウォルトンがイングランドで暮らす姉に宛てて綴ったもの。ウォルトンは長年の夢だった北極探検の旅路で、ヴィクター・フランケンシュタインと名乗る男を救助した。極寒の地に辿り着いた理由を男はこう述べる。「わたしのもとから逃げ去ったものを探しに」(小林章夫訳/光文社古典新訳文庫)。そうして語り出した非業な運命を、ウォルトンが書記係となり、「わたし」の一人称で書き留めた手記が、本編の大部を占める“人造人間およびそれを生み出した者の悲劇”なのだ。
英文学研究者の廣野由美子は、「『フランケンシュタイン』解剖講義」の副題を持つ『批評理論入門』(中公新書)において、作者が冒頭で手紙の形式を採用したことを重視し、その理由を推察する。もしもいきなり怪物が生まれるところから物語を始めていたら、読者は作品世界に入り込むことが容易ではなかったろう。〈非現実的な物語を、現実的な手紙という枠組みのなかに収めることによって、その内容に信憑性を与える工夫をしているように思われる。また作者は、外側の手紙と内側の物語との関連から、なんらかの効果を生み出すことをねらっているようだ〉