書評

叙述トリックの名手がいざなう 「読むこと」の快楽とサプライズ

文: 吉田 大助 (ライター)

『侵入者』(折原 一 著)

 本を開いてすぐ目に飛び込んでくるプロローグから、サスペンスのムードが漂う。四つの情景──百舌の早にえ、暗闇にたたずむ一軒家、クリスマスイブの夜のピエロ、車椅子の人物と質問者の対話──がコンパクトに描写された後、「第一部 自称小説家」が開幕する。

「1」「2」「3」……という各章のナンバリングの下には、奇妙なタグが付けられている。「(自称小説家)」のタグが付けられた章では、新人賞に投稿して職業作家デビューの夢を追い、東京都北区十条のおんぼろアパートで原稿執筆に精を出す、率直に書けば無職の塚田慎也による「僕」の語りが展開される。ある日、彼の元へ一通の手紙が届いた。半年前のクリスマスイブの夜、近所で発生した四人殺害の未解決事件「柿谷一家殺人事件」の親族からの手紙だった。関係者への取材をサポートするから、事件を推理してみないか?

 その依頼を引き受けたところから、語りは複数化する。「僕」は関係者への取材で得た情報を元に、ひそかにフィクション(小説)を書き進めていく。「僕には発想の引き出しが多い」と言いつつ、投稿作はいつまで経っても完成させられないし、新しい小説のネタなどないからだ。彼が書いた文章は、「[創作]『サクリファイス』」というタグが付けられ作中で披露されていく。その一方で、かつて自費出版した長編ノンフィクションの原稿も、こちらは「[ノンフィクション]板橋資産家夫婦殺人事件」というタグ付きで一部が披露される。実はその事件の被害者二人と、「僕」は浅くない面識を得ていた。だからこそ暴くことができた真犯人はずばり、ピエロ。誰をも名指さない、誰でもあって誰でもない存在として指摘したつもりだったが、「柿谷一家殺人事件」の周辺にピエロの仮面をかぶった人物が見え隠れしていた。もしかして……二つの事件の犯人は同一犯なのか?

 二つの事件、ノンフィクション(ルポ)とフィクション(小説)を行き来するうちに、「僕」の妄想と現実が入り乱れる。「書くこと」は「創造すること」であると同時に、忘れてしまった感情や記憶を「思い出すこと」であるという真実が、さまざまなバリエーションで記述されサスペンスの狂熱を盛り上げていく。そこへ、「僕」が執筆するさらなるテキストが入り込む。「脚本『侵入者──Pierrot』」とタグ付けされたシナリオだ。その内容とは、一年後のクリスマスイブに、「柿谷一家殺人事件」の発生現場となった一軒家で、遺族が出演者となって上演される「再現劇」。

 物語の中には、「真犯人」を追い掛けその素顔を知る驚きもきっちり盛り込まれているが、複数のテキストを読み進めながらパズルのピースを集め、ピースを対比した時に現れる矛盾や差異を見つける感覚が、なにより楽しい。個人的には「僕」が、事件にまつわる小説やシナリオの執筆作業を「仕事」と呼び出した頃から、この語り手に対する疑わしさがグッと増した。金銭は発生していないし、誰かに依頼されたわけでもない。それを「仕事」と呼ぶ男のいびつな自意識には、危うい何かがある。それは、何か?

 冒頭で紹介した「フランケンシュタイン」の一語は確かに、怪物の名前ではなく怪物を生み出した科学者の名前である。だが、原典に当たってみればすぐ分かることは、その科学者もまた、ある種の怪物だったということだ。……これ以上はもう、書けない。ただ、『侵入者 自称小説家』を読みながら、他の折原作品以上にメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を強く思い出したということだけ、書き添えておきたい。

 登場人物が(作者が)、読者に仕掛けてくるトリックを「叙述トリック」と言う。その名手と言われる折原一は、読者に「読むこと」のストレスをできるだけ感じさせない演出を駆使しながら、「読むこと」の内側に無数のサプライズを忍ばせ、「読むこと」への快楽にいざなってくれる。「実験的」であると同時に「入門的」でもある折原作品は、何度だって新たに発見されるべきだと思う。長年のファンの人も初めましての人もお久しぶりの人も、まずはこの小説から、いかがでしょうか。


侵入者折原 一

定価:本体880円+税発売日:2017年09月05日