書評

すべての開店は似ているが、閉店にはそれぞれの物語がある。だから面白い!

文: 永江 朗 (ライター)

『閉店屋五郎』(原宏一 著)

 最初はおもしろがって見ていただけだが、そのうち一つひとつの厨房器具が気になってきた。その店に並んでいるのは、誰かが使ったものである。傷やへこみのあるものもある。「この作業台のへこみは、寸胴鍋でもぶつけたのかな」「冷蔵庫にこの傷をつけた人は、親方に叱られただろうな」などと想像する。

 道具はプロにとって自分の体の一部だ。腕のいい職人は、道具の手入れを欠かさない。厨房を覗くとその店の実力が一目瞭然。いい店の厨房は整然としていて、冷蔵庫のハンドルまで磨き上げられている。厨房が汚くて雑然としている店はたいていまずい。以前、銀座の老舗理髪店を取材したことがあるが、何十年も使い続けた鋏はすり減って短くなり、しかしピカピカに磨き上げられていた。

 プロの道具だけでなく、モノには持ち主の思いと物語が染み込んでいる。しばらく前から古着屋が人気で、中古家具や骨董の店も人気だ。古いものが好まれるのは、もちろん新品よりも値段が安いことが多いという理由もあるだろうが、一度は誰かに選ばれ愛され使われてきたという過去があるからだ。茶道具などの骨董で、誰がつくったかだけでなく誰が所持したかという伝来が重視されるのは、モノが持つ物語を読み取りたいと思うからだろう。古着を着る若者たちは、前の持ち主の思い出も一緒に着ているのだ。

 だから中古屋の五郎が扱うのは、たんなる中古品ではない。店舗や事務所で使われてきた道具たちである。一つひとつの道具には、店を開くときの夢や希望が詰まっている。店主や従業員や客がすごしたさまざまな時間も詰まっているだろう。五郎はそれを買い取り、新たな客を見つけて売る。

 五郎は不器用な男である。みてくれも無骨。生き方もへたくそ。中古屋という商売に目をつけ、埼玉県の郊外に広い店舗を持つなどセンスはいいのだが、小ずるく立ち回って一円でも多く稼ごうという男ではない。女にはだらしなく、若いおねえちゃんの太股とか胸の谷間なんかにはすぐ視線がいくのに、いちばん大切にすべき人の表情は見逃していたりする。

 五郎は人情に厚い。おせっかいなくらい厚い。困っている人を見るとほうっておけない。損得でいうと損かもしれない。でも見て見ぬふりはできない。

 そういえば少し前、漫画家のちばてつやさんに、終戦直後の思い出を聞いた。ちばさんは満州で敗戦をむかえた。六歳だったちばさんを頭に乳飲み子まで四人の子どもを連れて、両親は日本に引き揚げようとした。食べ物も交通手段もなく、まさに着の身着のまま、命からがら。引き揚げの途中で二〇万人が亡くなったという。ちばさん一家を助けてくれた中国人の知人がいたのだ。日本人を匿ったなどとバレれば命が危ない。それでも助けてくれた。五郎のような人だ。その中国人がいなければ、『あしたのジョー』も『のたり松太郎』も、弟、ちばあきおさんの『キャプテン』もなかったかもしれない。その後の日中友好やマンガ文化の発展を考えると、彼にとっても、情けは人のためならず。

 ところで、閉店が悲劇だとは限らない、と先に述べた。それは不動産業に転業して悠々自適の生活を送るというようなことだけではない。たとえ経営に行き詰まり、借金まみれになっての閉店にしても、そこから心機一転ということもある。この短編集に登場する人びとは、五郎の人情をきっかけにして人生を変える。人は何度でもやり直しがきく。

 わたしが気になるのは、この本の続きだ。五郎はこれからどうなるのか、どんな閉店案件が持ち込まれるのか。娘の小百合はいつまでウェブデザイナー兼業で中古屋を手伝ってくれるのか、そして別れた女房の真由美との仲はどうなるのか。はやく続きを読みたい。

閉店屋五郎原 宏一

定価:本体720円+税発売日:2017年10月06日