すべての開店する店主の表情は互いに似ているが、閉店する店主はそれぞれの事情を抱えている。トルストイ『アンナ・カレーニナ』より……なーんてね。
わたしは会社員だったとき、開店も閉店も経験した。会社を辞めてライターになってからは、取材者としていくつも見聞きしてきた。
開店というのは興奮するものだ。オーナーも店長もスタッフも、緊張と期待で高揚しながらその日を迎える。棚に商品を並べ、レジの使い方を点検し、アルバイトは接客のシミュレーションを繰り返す。数日間つづいてきた開店準備で体は疲れているのに、そんなことが気にならないくらい気持ちが昂ぶっている。
最初のお客さんはどんな人だろう。何が売れるかな。初日は何人ぐらい来てくれるかな。商品は足りるだろうか。そもそもお客さんは来てくれるかな。もっとチラシを撒いておけばよかった。店の前で呼び込みもしよう……。期待と不安が入り混じる。やがて開店時間が来る。飲食店なら暖簾を出して、小売店だったらシャッターを開けて、客を迎える。こうしてひとつの店が始まる。
一方、閉店はいろいろだ。新聞などに閉店の記事が載ると、とたんに客が詰めかけたりする。「残念ね」「続けてほしい」などといいながら。だったら、前からもっと来てくれればいいのに。もう手遅れだ。
ハッピーな閉店もないわけじゃない。わたしが取材したある文具店の元店主は「店を閉めてよかったよ」と笑顔でいった。都会の一等地、それも人通りの多い通りが交差する角地にあったその店は、それなりに繁昌していた。でもオーナーは文具店をやめて貸しビルにした。不動産業になったわけだ。自宅兼事務所にしたビルの最上階で、毎日店頭に立たなくてもよくなったこと、商品の発注や納品の作業から解放されたこと、万引きにピリピリする必要がなくなったことなどを嬉しそうに話した。
もっとも、幸福な閉店というのは少数派で、多くは「できることなら続けたかった」と語るのだった。多いのは経営不振と後継者不足。経営不振といってもこれまた事情はさまざまだ。近所に大きな店ができて客を奪われたとか、商店街全体がさびれてしまったとか、町そのものの人口が激減してしまったとか、その店の努力だけではどうにもならないことがある。一方、料理が不味い、接客態度が悪い、雰囲気が悪いなど、閉まるべくして閉まった店もある。