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『愛しのこぶた狛犬』町田そのこ――別冊コラム「偏愛がとまらない」

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #随筆・エッセイ

別冊文藝春秋 電子版17号

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版17号」(文藝春秋 編)

 私の携帯には、狛犬専用フォルダがある。自分の手で撮ったものと、いつか会いに行くぞと収集しているものの二種類。時折眺めては、くふくふと笑う。狛犬が好きだ。

 あまり意識したことがないというお方がいたらぜひとも一度寺社を訪ねて欲しい。それも、二社ほど行くのをお勧めする。狛犬たちの個性に驚かれることだろう。

 狛犬の説明を少々させてもらおう。元々は天皇ゆかりの神社に置かれた守護獣で、それが江戸時代ごろから一般の神社にも置かれるようになったそうな。御神体を守護する神聖な獣の像があるという話だから、うちの神様にもぜひ奉納したい、そんな感じで広まっていったようだ。しかし狛犬は神殿奥深くの御神体近くに置かれていたため、人々の目に触れることはない。その上、空想上の獣であるがゆえに人々は狛犬のビジュアルがいまいち分からなかった。奉納したいから作ってと言われたけど狛犬とはどんな姿をしているのだ、これが当時の石工の間で旬な話題だったに違いない(注:私の想像です)。伝聞でしか分からないものを作るのは、とても大変だったことだろう。

 私が狛犬愛に目覚めたのは、この狛犬文化の初期のころのものを目にしたことによる。一目惚れというやつに近かった。

 彼らは九州の山奥の小さな神社にいて、こぐまとこぶたのような姿をしていた。私の知っている姿とは全然違う。違うのに、ちゃんと阿吽の形を取っていた。何たること、最高にゆるくて可愛いではないか。特に阿像を担っているこぶた。「わあい」と無邪気に声を上げているようで、その様子には身悶えした。何がどう伝わればこんな姿になるのだ。邪を愛らしさで払うおつもりか。

 ときめきのあとに、何故だか感動のようなものが押し寄せてきて、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。苔むして自然に溶け込みかけた彼らを眺めながら溢れた感情の理由を探っていると、ふとココアを思いだした。

 子どもの時分、大正生まれの祖母に「ココアが飲みたい」と言ったことがある。一体それはどんな飲み物だと訊く祖母に、貧相な語彙で精一杯説明した。すごく熱くて、チョコレートを溶かしたような甘い飲み物だよ。少しとろっとしてる感じ。果たして祖母が出してくれたのは、チョコが泥のように沈殿するお湯だった。油膜が張り、スプーンでかき混ぜれば溶けきれていないチョコがゆらりと浮かんで沈んだ。こんなのココアじゃない。しかし嬉しそうに私を見守る祖母を前にして、何も言えなかった。たっぷりと湯が満ちたカップが白くぼやけて見えたのは、湯気のせいだけではないと思う。あれから何度となく美味しいココアに巡り合ったが、真っ先に思いだすのは、あの何とも言えない薄い味である。

 ど田舎だから誤った情報がもたらされたのかもしれない。それでも石工は想像力を巡らせて彼らを彫りだし、依頼者は信仰を以て奉納した。そして人々はずっと大切に守ってきたのだろう。狛犬たちは長い時間を経て姿の輪郭を崩しかけていても、守護すべきものの前に変わらずに居る。生み出されたものと目指したものとの姿の違いなど、本当は大した問題ではないのだ。

 狛犬は今ではすっかり姿が定着してしまっているが、それでも個性がある。その姿の端々に想いの欠片が輝いているようで、愛おしい。ひとが想いの果てに生み出したものたちが時に纏う滑稽さは、私をいつでもときめかせ幸福感を与えてくれる。

まちだ・そのこ/ 一九八〇年福岡県生まれ。二〇一六年「カメルーンの青い魚」で第十五回「女による女のためのR―18文学賞」大賞を受賞。同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』が初の単行本となる。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版17号
文藝春秋・編

発売日:2017年12月20日

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