書評

英雄を一刀両断する数々の評言が、塩野七生の「女の肖像」を浮き彫りにする

文: 楠木 建 (経営学者・一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)

『男の肖像』(塩野七生 著)

 出版業界の中でも歴史小説はもっとも多くの読者を抱えるジャンルのひとつだろう。需要があるところに供給があるのが世の常。次々に歴史小説の書き手が現れる。それだけ競争も熾烈になる。そうした中にあって、塩野七生という作家は多くの愛読者を惹きつけて離さない。僕もその一人である。なぜか。彼女が単にベターな作家だからではない。はっきりとディファレントであり、余人をもって代えがたいポジションを確立しているからである。

 僕は最初の10ページを読んで面白くなければ、そこで読むのをやめてしまう。本という商品は時間の流れから逃れられない。顧客である読者は最初から最後へと読み進める。よっぽどの変人は別にして、どんな作家もなるべく多くの人に自分の作品を読んでもらいたいと思うだろう。読者を惹きつけるため、最初の部分に全力を傾注するはずだ。そこが面白くなければ、後を読んでも面白いわけがない。

 その点、本書の劈頭を飾るペリクレスの章は最高の見本といってもよい。のっけから著者の独自性が色濃く現れており、それが読者を楽しませてくれる

 ペリクレスの顔をはじめて見たのは、高校の西洋史の教科書でだった。それは、胸像をななめ右前方からとらえた写真で、高校の教科書だから、その胸像がどこにあるかまでは書かれていない。ただ、この写真が十六歳の少女に与えた印象は鮮烈だった。

 なんと端正な美貌(びぼう)であろう、と思ったのだ。そして、そのページに書かれている説明、それはペリクレスについてというよりもアテネの民主政治についての説明だったが、それも端正な美貌をかたわらにして読むと、実に「端正」に思えたのであった。ペリクレスの顔は、民主主義の広告としては大いなる貢献をしているのではないかと、今でも思う。

 歴史小説や本書のような歴史的人物についての随筆は研究書とは異なる。正確なファクトを記述するだけでは作品になりえない。ファクトに作家の解釈やイマジネーションを加えてはじめて小説や随筆になる。客観的なファクトか主観的なイマジネーションか、どちらに軸足を置くかで歴史小説の書き手は特徴づけられる。

 塩野七生ははっきりとイマジネーション志向の作家である。16歳のとき、たまたま歴史の教科書でペリクレスの胸像の写真を眼にする。その端正な美貌に瞠目し、政治家としての「端正さ」を直覚する。そこからアテネの民主政治の輪郭を描き、その黄金期をリードした指導者の器量を論じる。

男の肖像塩野七生

定価:本体830円+税発売日:2017年11月09日