書評

英雄を一刀両断する数々の評言が、塩野七生の「女の肖像」を浮き彫りにする

文: 楠木 建 (経営学者・一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)

『男の肖像』(塩野七生 著)

 塩野七生のスタイルの真骨頂は、ユリウス・カエサルについての章だろう。カエサルは地中海世界の歴史のなかで、もっとも著者を魅了した人物の一人である。この章はカエサルが愛人であるクレオパトラに宛てて書いた手紙の形式をとる。著者は自分をクレオパトラに仮託して、カエサルと対話している。ようするに、著者一流のイマジネーションでカエサルと「ひとり脳内文通」をしているのである。

 恋文であるだけにその内容は徹底的に主観的で感覚的で情緒的でパーソナル。歴史教科書的なファクトの記述はほとんどない。それなのに、いや、だからこそ、ごく短い文章でカエサルの類稀な指導者の資質と力量、人間的魅力、さらには時代を超えた成熟した男女のあるべき関係の姿まで鮮烈に描き出すことに成功している。

 ペリクレスの章にしても、その端正な美貌と不恰好な「玉ねぎ頭」のアンバランスに思わず笑ったという極私的な経験を基点に置き、そこから都市国家アテネの政治体制と政治指導力の本質を鮮やかに浮かび上がらせる。パーソナルで感覚的な断片から、古今東西変わらない人と人の世についての普遍的な洞察を引き出す。この辺、著者の独壇場であり、余人をもって代え難い味わいがある。

 これと反対に、個人的に好きでなかったり、関心を持てない人物─アレクサンダー大王やナポレオンや毛沢東─が相手になると記述のトーンもとたんにあっさりとしてくる。はっきりと態度が異なり、それが文章にも表れる。このギャップが面白い。しかも、距離を置いたような文章がまたその人の本質を見事に切り取ってみせてくれる。

 歴史に対してストレートに主観的・感覚的な構えを取る。対象に対する好き嫌いを全開にする。そうした書き手を塩野七生以外に知らない。ファクトの集積であり、ある種の「公共財」である歴史に対してそのような姿勢を取るのは一般に憚られる。下手をすれば独善に陥り、読者が背をむけるというリスクがある。だから多くの作家は多少なりとも客観的で距離を置いたスタンスを取る。

 しかし、そこはさすがに塩野七生。この人がすぱっと言えば、なぜか自然と腑に落ちる。文章を通じて伝わってくる著者の人間的魅力のなせる業としか言いようがない。普通の書き手が著者のスタイルを模倣しても決して上手くいかないだろう。仮に同じことを言ったとしても、塩野七生が言うからこそ読者の心に響くという面がある。

男の肖像塩野七生

定価:本体830円+税発売日:2017年11月09日