本書『真夏の犬』はその点で決して読者を裏切らない一冊だ。ジャンルを問わず宮本輝作品には数々の名作があるけれど、九つの短篇小説で編まれた本書は、そのパンチ力において大長篇の上下巻にも決して引けをとらない。それは収められた一篇一篇がそれぞれ独立した作品でありながらも、どこかで通底した匂いや陰影を感じさせ、全体として一つの濃厚な世界像を築きあげているせいかもしれない。
昭和三十年代とおぼしき大阪の貧しい界隈。それが九篇の大半に共通する背景だ。まだ日本人の多くが貧しかった時代にあって、人並み以上の困難を抱えた人々が汲々と毎日を凌いでいた場所。怪しい商売に手を出したり、金策に駆けずりまわったり、事業に失敗して姿を暗ませたり、売るものがなくなったら体を売ったり、そんな荒っぽくもたくましい人々の赤裸々に生きる姿がそこにはある。
私が最も衝撃を受けた表題作の「真夏の犬」では、中学二年生の〈ぼく〉が父親から新商売の助っ人として廃車置き場の見張り役を命じられる。真夏の直射日光。孤独。襲い来る野犬たち。〈ぼく〉を見舞う試練はあまりにも激烈で、読み手の肉に刺さるような臨場感に満ちている。その上、ひさびさの収入に喜ぶ母親を思う〈ぼく〉の苦労は報われないどころか、最後に極めつけの大試練(なかなかひと夏で一人の少年がこれほどひどい目に遭えるものではない、というほどの)が待ちうけているのである。そこには教訓も寓意もない。ただ生きるために戦う少年の汗と血があるばかり。だからこそ、そのひたむきな奮闘は焼けつくような痛みを伴って読み手の胸を打つ。これは、ヨットで太平洋を横断した青年に勝るとも劣らない、一人の少年のまぎれもない冒険譚だ。
一方、その冒険を陰で支える母親もまた本作においては終始気になる存在感を漂わせている。母は強し。その一語に尽きるのかもしれないが、散々な目に遭った上に父親の背徳まで垣間見た少年の話が悲壮感をもって終わらないのは、誰よりも夫から痛めつけられているはずの母親が、息子の前ではあくまでも巨岩のようにどんと構えているからだろう。母性溢れる最後の台詞「目の玉に当たらんで、ほんまによかったなァ」に、〈ぼく〉同様に心をほぐされた読者も少なくないのではないか。
-
『皇后は闘うことにした』林真理子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/29~2024/12/06 賞品 『皇后は闘うことにした』林真理子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。