
なぜなら、この事件の加害者たちは、一部は示談が成立したり、一部は法律によって裁かれたからである。
そして、私が公判後に聞いたこともまた、あやふやだからである。
事実としての、この事件について、私は小説にしようとして、調べたわけではない。ニュースや新聞での報道では、よくわからなかったから調べただけである。
〈この事件がおきたことで、いろいろなことを考えた〉と、先に書いた。
〈いろいろなことを考えた〉きっかけが、事実としておきた東大生強制わいせつ事件だったということであって、『彼女は頭が悪いから』は、被害者も含めた関係者の名前を仮名にした再現ドラマでは、まったくない。
いろいろなことを、考え続けて、月日が経った。そして、一つの小説を書き始めた。
原稿にとりかかったとき、報道されたことは措いて、私がそれなりに調べたことは、ぜんぶ捨てた。
いっさい捨てた。
捨てるのに、かなりな労力を要したほどだ。
『彼女は頭が悪いから』というのは、〈いろいろなことを考えた〉その中身である。
私が考えたことなのだから、たんに「ものがたり」である。それは架空であり、架空である以上、非実用的なものだ。
しかし、架空で非実用的な形態でなければ、書いている私や、私の隣人や知人や、同じ電車に乗り合わせたり病院の廊下ですれちがった人等々、生きて暮らしている人たちに在る真実は描出できないではないか。
人の気持ち(人間が、昆虫や機械ともっとも違う部分)というものが、非実用的で非合理的なのだから。
たとえば、だれかを尊敬する気持ち。たとえば、だれかに恋する気持ち。こうした気持ちは、昆虫や機械にはない典型的な例だが、尊敬と恋愛の方向は相反する。
ミケランジェロのピエタの美しさを崇めても、ベルニーニのプロセルピナの不運にときめく男性のほうが格段に多い。ましてや、オナニーの淫夢のさなかには、対象を尊敬していなければいないほど、あるいは尊敬の位置からひきずりおろすほど、情欲が高まる嗜好の人間は少なくない。
性欲処理産業のプロダクトする店や動画や映像や漫画等々には、己の性欲が向かう相手を凌辱している夢想を与えるように考案されたものが多くある。
凌辱している夢想であって、凌辱しているのではない。架空であって現実ではない。
人の気持ちは非実用的だ。架空であって現実ではないから、だから、性器的昂奮がおこるのである。
人の気持ちは非合理的だ。もし、現実であって架空ではないなら、おぞましさや吐き気や恐怖だけがおこるのが、それが、社会に棲む人間である。