プロローグ
初夏。
それは、梅雨が始まる前の、新緑の朝露が陽を浴びて眩しく光る季節だ。
これから迎える眩しい季節を前に誰もが心弾ませる頃だというのに、『京洛の森』の住人たちは、珍しいニュースの話題で持ちきりだった。
「号外号外! 王太子が王室を出ることを決意。王室でのすべての権利を放棄して、一般人になることを決めたそうだよ!」
町中に鳩が飛び、文字通り美しい蓮の姿絵が描かれた号外が飛び交う。人々はそれを手にして食い入るように覗き込んだ。
「王室の人間が、権利を放棄するなんて珍しいことがあるんだね!」
「私は初めて聞いたよ」
「なんたって、選ばれし血族だからねぇ」
号外には、当然のごとく十六歳――この世界において成人している蓮の姿が描かれている。
「蓮様が、王族じゃなくなるなんて残念」
「弟殿下が大きくなるのを待つわ」
高瀬川のほとりを歩いていたありすは、そんな噂話を耳にして、苦笑した。
「まだ、噂されているんだ……」
すると、蓮は、「退屈なんだろ」と言って、ありすの肩の上で大きく欠伸をする。
この世間が騒がしい今、蓮は外に出る時には、蛙の姿でいることが多かった。
「それにしても、意外だなと思って」
『京洛の森』の住人は、元の世界の人とは違い、自らに集中しているため、他人にさほど関心を持たない。
そのため、ゴシップや噂話が、起こることがあっても、そうは続かないのだ。
だが、王太子が権利を放棄して、一般市民になるというニュースは、住人にとってよほど珍しいことだったようで、町中はしばらくの間、騒がしかった。
「選ばれし血族が、そこから出るのは本当に珍しいことですから」
そう言ったのは、ありすの隣を歩いているナツメだ。
彼は相変わらず愛らしい白うさぎの姿だ。
長い耳、丸い後頭部、白うさぎとしては珍しいであろう黒々とした瞳は、愛らしくも、すべてを見透かすような鋭い光を放っている。
選ばれし血族? と、ありすは小首を傾げた。