書評

「失敗しても笑われるのは俺一人」戦後最大の難事業“クロヨン”を作った男の物語

文: 米倉誠一郎

米倉誠一郎が『胆斗の人 太田垣士郎』(北康利 著)を読む

『胆斗の人 太田垣士郎』(北 康利 著)

「だめで元々。失敗しても笑われるのは俺一人だ」

 一九五五(昭和三十)年、戦後最大の難事業といわれた黒部川第四発電所(通称黒四)建設の資金調達を世界銀行に依願する時、関西電力社長太田垣士郎の言い放った言葉だという。当時資本金百一億円の関電が総工費四百億円を下らないといわれた黒四開発を断行する。人跡未踏の北アルプスの真下に三・五キロのトンネルを貫いた上での巨大ダム建設という桁外れの構想だった。

 電力不足に悩まされていた復興期日本にあって、太田垣は電力の安定供給こそが復興の鍵と確信していた。電力不足による復興の遅れを、「あれは当時の電力会社の怠慢による“人災”だった」とだけは言わせまい。太田垣の思いだった。彼は言う、「およそどんな事業でも、隘路(あいろ)のない事業はない。その隘路を、われわれの努力によって克服してゆくのが企業なのだ」。嗚呼、二十年以上にわたって何の決断もできずに“人災”を撒き散らしている現代の経営者・政治家に投げつけたい言葉である。

 斗とは十升枡のことで「胆斗の人」とは胆が大きく据わった人の意味である。まさに太田垣士郎はそういう人だった。しかし、嬉しいのは彼が若い時からそうした人物ではなかったことだ。最初の就職は失敗、上司とともに転職したのが稀代の経営者小林一三が率いる阪神急行電鉄。そこでの評価も決して高くはなかった。運転手や車掌もする平凡サラリーマンであった。その太田垣が経営者としての頭角を表したのが、経済人パージによって末席役員から急遽社長に繰り上がってからだった。さらに、電力再編の中で彼は関西電力社長に抜擢され、前述の大胆な意思決定に向かっていく。器が人を創っていったのである。

 多くの評伝を手がけてきた著者の筆は手堅く、しかも当時の経済状況や多彩な経営者たちの役割など、日本の戦後復興の断面を見事に描き出している。


きたやすとし/1960年、愛知県生まれ。東京大学卒業。富士銀行(現みずほ銀行)等に勤務後、作家活動に専念。2005年『白洲次郎 占領を背負った男』で山本七平賞。著書に『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』など。

よねくらせいいちろう/1953年、東京都生まれ。経営学者。法政大学教授。著書に『松下幸之助』『イノベーターたちの日本史』など。

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