「司馬遼太郎が『坂の上の雲』で日露戦争を書きはじめたのは、ポーツマス条約締結から六十三年後。歴史ものの小説というと、戦国時代や幕末のイメージが強いですが、終戦から七十三年が経ったいま、昭和史の戦時中や戦後の出来事が小説の題材になっておかしくないんです」
本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞した『もののふ莫迦』を始め、歴史時代小説で知られる中路さん。いま小説の題材として昭和史に焦点をあてている。本作のテーマも憲法の制定過程。主人公は内閣法制局の官僚、佐藤達夫だ。
物語は、終戦直後の昭和二十一年はじめ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本側の憲法試案を拒否し、GHQの憲法草案を押し付けたことにはじまる。佐藤はその草案をたった二週間で翻訳することになる。
その後、国会の特別委員会で議論が進む中、佐藤は日本政府とGHQの板挟みになりながら作業を続け、条文を一言一言積み上げる。さらに、「象徴天皇」、「戦争放棄」などセンシティブな条文の調整に奔走する。
「本が売れない今、映像やゲームの要素を取り入れた作品を求める風潮がありますが、それは小説が不得意な方に行くだけで長い目でみると小説を衰退させると思う。小説は小説が得意なところを追求した方が可能性は広がる。今回は『言葉』を意識して扱いました。世界を規定する『言葉』である憲法をスリリングに扱うことができれば面白いのではないかと」
現在進行形の政治的なテーマだが、中立的で冷静な筆致で描かれるからこそ、制約のある中で真剣に国の将来を考えた人々の姿が浮かび上がる。
「善人と悪人を作って書いた方が楽。でも、それでは特定の人にしか受け入れられない。改憲論者にも護憲論者にも読んでもらうため、アジテーションにならないように気を遣いました」
佐藤を陰で支えるのは妻・雅子。さらに白洲次郎、金森徳次郎ら個性的な人物が脇を固める。
「妻の雅子は昭和の主婦の矜持を感じさせる魅力的な人物。エッセイも書いていて、古臭いけど清々しい感じがあっていい。佐藤がGHQとのやりとりに没頭して家に帰って来なくて雅子が街で電話を探し回るエピソードは、彼女の文章から見付けたものです」
タイトルは、吉田茂が語ったGHQを揶揄した言葉から取った。
「現代に通じるパラドックスみたいなものを象徴する言葉ですよね。吉田は早く占領を終わらせるために動いたのに、結果的には占領が永続するような選択をしてしまったんですから」
なかじけいた 一九六八年東京都生まれ。二〇〇六年、『火ノ児の剣』で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。『もののふ莫迦』で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。
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