2016年にオール讀物新人賞を受賞した嶋津輝さんの初の単行本『スナック墓場』刊行を記念して、過去の読書エッセイを公開します。 身近にありそうで、でも少しおかしな日常を、ユーモラスに描く著者。その読書体験を綴ってもらいました。
高校生のとき、高飛び込みという少々特殊なスポーツをやっていた。
私は運動全般が不得意である。高い所も苦手だ。だのになぜ飛び込みのような危険を伴う競技をやるに至ったか。それは、入った高校にたまたま飛び込みプールがあったのと、同じクラスで仲良くなったガンコ(仮称)に、一緒にダイビング部に入ろうと誘われたからであった。
ガンコはとても可愛らしい外見をしていた。丸顔で、黒目がちの目も鼻も口も真ん丸、小柄で色白で、小動物的な愛くるしさに満ちている。聞けば飛び込みがやってみたくてこの高校に入ったという。ポーッとなった私はうっかり誘いに応じた。しかしガンコの内面は、その容貌から受ける印象とはいささか異なっていた。
ときはバブル初頭、DCブランド全盛期で、級友たちはブランドのロゴ入りのショップバッグや、ロゴマークがついたソックスをこぞって身に着けていた。記号を見せつけることでセンスを誇示するような時代だったのである。
ガンコはそういった流行りものにはまるで興味を示さず、欧米発の音楽、映画への造詣を深くするいっぽう、漫画も愛し、ボーイズラブから青年漫画、ギャグ漫画まで幅広く読んだ。自身も絵が上手で、デッサンなどは美術教師も唸るほどの腕前だった。童顔の売れっ子アイドルには見向きもせず、ギリシャ彫刻のような、クラシカルで大仰な顔立ちを讃えた。
そんなガンコは、おのれの小動物的容貌を良しとしていなかった。部活の先輩や友人から「可愛い〜」といじられるたび、「気持ち悪いなあ」と本気で怒った。外見に似合わない重厚な態度で、低い声でつねに落ち着いて喋る。キャピキャピと浮ついた同級生を、黒目がちな瞳で、口元に薄笑いを浮かべながらじっと観察するような意地悪い一面もあった。
ガンコは自ら所望しただけあってすぐに飛び込みが上手くなり、対して私は運痴の劣等生という違いはあったものの、等しく水面に身体を打ちつけ、全身アザだらけの青春を三年間ともにした。
卒業後はめっきり会わなくなった。用もないのに約束をとりつけるのはガンコの趣味ではなかったし、私は単に不精者だった。
お互い社会人になった頃だったろうか。家に突然ガンコから郵便物が届いた。
なんだろう、と中を見ると、文庫本が二冊入っていた。原田宗典(はらだむねのり)著「スバラ式世界」、「東京困惑日記」とある。
当時の私に読書の習慣はなく、ことに現代作家の読書体験は皆無に近かった。なんでまた? と首を傾げたが、同封のメモには「好きそうだと思ったので」とあるのみである。メールなどない時代、私はガンコに意図を問うこともせず、不可解に思いながらそれらを読んだ。
ひどく面白かった。私は大笑いしながら、ときにニヤニヤしながら、二冊のエッセイ集をすぐに読み終えた。著者は大柄な体躯に似合わぬ気弱な性格で、類を見ぬハードラックの持ち主である。繊細な感性で軽妙に綴られた著者の稀有な体験は、ただ面白いだけでなく愛しいという感情まで抱かされる。すっかり魅了された私はそれらの本を姉にも読ませた。姉も爆笑し、二人して原田ファンになった。他のエッセイも買って回し読みし、「ウンチョス」「ハニワ顔」といった原田用語は姉妹の間で公用語となった。
私は、ガンコに感謝した。面白い本の存在を教えてくれたから、というだけではない。あの趣味にうるさいガンコが、これらの作品に共鳴するセンスがあるだろうと、私を認めてくれたのである。私は誇らしかった。
その後も私たちは滅多に顔を合わさなかったが、本が送られてから何年後かに私が結婚することになり、ガンコも披露宴に出席してくれた。
お色直しのキャンドルサービスで、似合いもせぬぴらぴらしたローズピンクのドレスを着た私は、ひどくきまりが悪かった。照れ臭さにほとんど顔も上げられなかったのだが、ガンコのいるテーブルで彼女の姿が目に入った。ガンコは例の黒目がちの瞳で、口元に薄笑いを浮かべて私を見ていた。
ガンコと会ったのはそれが最後だったと思う。そのときの結婚相手とはほどなくして別れ、私が転居を繰り返したため年賀状のやりとりもいつしか途絶えた。あれから二十年近くが経ち様々をやり過ごした現在の私を、ガンコはいったいどういう目で見てくれるだろうか。
いまも心のどこかでガンコからの郵便物を待っている―というとあまりに感傷的だが、あのときガンコの審美眼にかなった、という矜持は、変わらず私の支えとなっている。ちなみに今回二冊を読み返してまたも大笑いしたのであるが、「宍戸錠(ししどじよう)」を「獅子どじょう」と間違えていた妹って原田マハさんのことなのだなあ、と思うとなにやら感慨深く、昔とは違う愉しみかたもできた。
しまづてる 一九六九年、東京都生まれ。日本大学法学部卒業。家政婦の姉・里香とラブホテルに勤務する妹・多美子の日常を描いた「姉といもうと」で第九十六回オール讀物新人賞を受賞。九月にデビュー作『スナック墓場』を刊行。