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神秘的な時間の交わり

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文:白石 一文 (作家)

『死の島』(小池 真理子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『死の島』(小池 真理子)

 この『死の島』は単行本刊行時にすぐに読了した。三年ほど前だが、爾来、この本のことはしばしば思い出しつつ現在に至っている。一番印象に残ったのは、やはり主人公が実行した自決法で、作中の主人公さながら「そんなうまい手があったのか」と感心し、実はいまでも「脱血死」という言葉を頻回に想起している。

 というのも、とうに還暦を過ぎた私自身が、最近しきりに、

 ――一体自分はどうやって死ぬのだろう?

 と考え込んでしまうからだ。そして、そう考えるたびに本書の主人公のイメージが自然と呼び覚まされてくる。

 そもそも、この主人公の人物設定が私にとってすこぶるリアルなのだ。彼は文秋社という大手出版社で長年文芸編集者として働き、退職後は文秋社が出資し、OBが理事長を務める文化事業団体「東京文芸アカデミー」で小説講座の講師を務めているのだが、まずもってこれがどうにも身につまされる。二十年余りを文藝春秋で編集者として働き、四十を過ぎて作家にはなったもののいまだにサラリーマン気質が抜けていない我が身とすれば、いかにも「俺のことじゃなかろうか」という気にさせられてしまうのである。

 小説講座の講師というのも作家にとって身近な仕事だ。小説で食えなくなれば私もそうした講師の口をきっと探そうとするのだと思う。主人公の境遇も似通っている。私も彼同様に四十を過ぎて妻子と別れ、残してきた三十代の一人息子とはほとんど音信不通のありさまだ。両親ともにがん家系とはいえ、幸いいまだがん患者ではないが、しかし三年前に偶然、脳の深部に重大な病変が見つかって、それ以降はその意外な伏兵を前にして毎日をびくびくしながら送るしかなくなっている。

 ――俺はどんなふうに死ぬんだろうか?

 と常々思ってしまうのもやむを得ない状況にはあるのだ。

 目を閉じてそのときの光景を想像してみる。死因は何か? 場所はどこで誰がそばにいるのか? 自分はどんな姿で、いかなる心境で末期(まつご)の風景を眺めているのだろうか?

 真剣に意識を集中すればかなり正確にその場の情景を予知できるような感じもするのだが、やはりそういう気にはなれない。極度に根を詰めた想像は現実化しやすい、というおそれが自制を生んでしまうのである。

 そんな臆病な私にとって、本書に描かれる主人公の心模様は、まさしく自らの死への道筋を目の当たりにさせられるようなリアリティーに溢れていた。心理描写に卓越した小池さんは、非常に丹念に、まるで舌なめずりでもするかのように「脱血死」へと歩みを進める主人公の内面を描いていて、それはもう真に迫ることこのうえない。

 死病を得たら俺はきっとこんなふうに考えるのだろうといちいち頷き、まるで自分の番の予行演習でもさせられている気分で随所に赤線を引きながら私は本書の再読を終えたのだった。

 いやはや途方もない筆力というほかはない。

 聞くところでは、この作品が上梓された直後に、小池さんは、三十数年連れ添った夫君の藤田宜永さんが末期の肺がんであることを知らされたという。そして去年の一月に藤田さんが六十九歳で亡くなるまで彼のそばに寄り添い続けたのだった。そうやって間近で最も大切な人の死をつぶさに観察した小池さんは、いま、この『死の島』で描いた主人公の姿を一体どのような気持ちで見つめ、またそこにどのような新しい発見を付け加えることができると考えているのだろうか?

 いずれその答えが見事な作品となって形を成すのを、私はずっと待ちつづけようと思っている。

文春文庫
死の島
小池真理子

定価:880円(税込)発売日:2021年03月09日

文春文庫
沈黙のひと
小池真理子

定価:770円(税込)発売日:2015年05月08日

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