- 2022.06.24
- 文春オンライン
「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ”
秋場 大輔
『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #2
「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇” から続く
2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。
ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2018年10月31日、取締役会を終えたLIXILグループは記者会見を開き、瀬戸氏の社長兼CEO退任と、山梨広一社外取締役の社長兼COO就任、潮田氏の会長兼CEO復帰を公表。瀬戸氏はその直後、自らを退任に追い込んだ潮田氏の“暗躍”を知ることになる――。(全4回の2回目/1回目から続く)
◆◆◆
瀬戸退任が決議された取締役会では……
記者会見とアナリスト説明会を終えた瀬戸はその日の夜、簡単な夕食を取りながら長かった1日を振り返っていた。
取締役会の直前に伊奈啓一郎と川本隆一、川口勉を見かけた。3人は瀬戸の退任に一様に驚いていて、取締役会では疑義を唱えることを約束してくれた。しかし実際に異議を唱えたのは伊奈と川本の2人だけで、その主張はかき消された。川口は退任の経緯こそ聞いたものの、逆に自分が辞任するという話が出ると大賛成といわんばかりの態度を見せたのには驚いたが、「潮田派」が多数を占める取締役会の構成を考えれば、議論の流れは想定内なのかもしれない。
しかし幸田真音が「今回の人事については、瀬戸さんがCEOを降りてもいいという話があったところから全てが始まった印象がある」という発言は意外だった。自分が辞めるのは指名委員会の総意、そうではなくとも潮田が意思統一をしていると思い込んでいたからだ。
取締役会で幸田は「用事がありますので失礼します」と言って採決には参加せず、部屋から出て行った。だから発言の真意を質すことはできなかったが、退席する際に、他の参加者に見つからないように「私は瀬戸さんにもう少し長くCEOをやって欲しかった」と書き添えた自分の名刺をそっと瀬戸に渡した。そこには幸田の携帯電話の番号が書かれていた。
自分も知りたいことがあるし、幸田も話したいことがあるに違いない。そう思った瀬戸は食事を途中でやめてスマートフォンを取り出し、名刺に書かれていた番号に電話を掛けた。そこで幸田が話した内容は瀬戸にとって驚くべきことばかりだった。
幸田から聞いた“瀬戸退任劇”の驚きの裏側
指名委員会を10月26日に開くというのは急に決まったことで、事務局は24日から日程調整を始めた。忙しい身の幸田は「当日は残念ながら足を運ぶことができません。電話で参加します」と答えると、25日の夕方には潮田から直接電話があって、「瀬戸さんとは10月19日に夕食を一緒にしたんですけれど、そこで『CEOを辞めたい』と言い出したんです。びっくりしましたよ。至急後任を決めなければならない。だから私がCEOに、山梨さんがCOOになります」と言った。
幸田は唐突な話に驚きながら、「でも潮田さんは普段、シンガポールにいらっしゃるじゃないですか。経営なんてできるんですか」と聞くと、潮田は「方法は色々とありますよ」と答えた。
幸田は瀬戸にそんなやり取りがあったことを明かし、さらに「瀬戸が急に辞意を表明したため、潮田と山梨がショートリリーフで急場を凌ぐことになった。それならばリモート経営は仕方のないことかもしれない。いずれにせよ潮田CEO、山梨COOに就任は暫定的なものだ」というのが当時の自分の理解だったとも語った。
「幸田さん、僕は潮田さんに辞意なんか告げていませんよ。だいたい10月19日の会食で人事の話なんか出ていません」
瀬戸がそう言うと、今度は幸田が「驚きました」と言い、それから、26日の指名委員会の様子を説明した。
潮田が使った“二枚舌”の内容
指名委員会に出席したのは潮田と山梨、吉村博人の3人。自分とバーバラ・ジャッジは電話で参加した。さしたる質問は出ず、提案された人事案を指名委員全員が条件付きで賛成した。条件とは潮田が改めて瀬戸の意向を確認するというもので、31日の取締役会の前に指名委員会を再度開き、潮田の説明を聞くことが決まった。
幸田との電話で瀬戸は自分の退任が決まった経緯を理解した。つまりこういうことだ。
指名委員会を開くにあたり、潮田は幸田らに「瀬戸さんが辞めたいと言っている」と説明した。しかし指名委員会が開催された翌日の電話で、自分には「指名委員会の総意で辞めてもらう」と言った。つまり偽計を図った、言い換えれば二枚舌を使ったのだ。
翌日、瀬戸は吉村に電話を掛け、幸田から聞いた話が本当なのかを尋ねた。吉村は幸田が話した内容が概ね正しいと言い、さらにこんな経緯も明かした。
「潮田さんは『瀬戸さんが辞意を表明した』と言ったけれど、私にしてみれば『ああそうですか』と簡単には言えない。だから『潮田さんが瀬戸さんの意向を改めて確認した上でトップ交代を取締役会に諮ろう』ということにした。31日の取締役会の前に開かれた2回目の指名委員会は、潮田さんが瀬戸さんの意思を説明する場だった」という趣旨のことを言った。
事実が確認できて瀬戸は腹立たしさが募った。しかし二枚舌を使った潮田に反撃するべきなのか否か。心は揺れた。
〈クビ宣告があったことを知った幹部の中には「それはおかしいよ。泣き寝入りせず、立ち上がるべきだ」と言った人もいたけれど、指名委員会の総意なら仕方がないと考えて退任を受け入れた。しかし事実が違うのであれば話は変わってくる〉
〈とはいえ10月31日の午前中に開かれた取締役会でCEOの交代を決議している。その後の記者会見やアナリスト説明会で潮田体制はお披露目された。ここまで話が進んでいるのに、自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか〉
瀬戸退任への反響
潮田に辞任を言い渡された時、瀬戸は「急に辞めれば株価は大暴落するだろうし、社員は混乱する」と言った。実際はどうだったのか。
記者会見は取引時間中に開かれたが、31日の東京株式市場でLIXILグループ株はさして反応することもなく取引を終了した。このため記者会見とアナリスト説明会の合間を控室で過ごした潮田は、同じ部屋にいた瀬戸に聞こえるよう大きな声で「山梨さん、株式市場は反応していないねえ」と言ったが、翌日になって、市場は潮田体制に露骨な疑問を呈した。11月1日の終値は1530円。前日に比べて14%下落した。
「社員は混乱する」という瀬戸のもう1つの“予言”も当たった。
瀬戸の退任はほとんどの社員にとって寝耳に水で、辞めることを知ったのは、瀬戸が社内向けSNSの「ワークプレイス」にこんなメッセージを載せたからだ。
「私は2016年1月にLIXILに参画して以来、グループ内のシナジー最大化に注力し、組織の簡素化、フラット化を進め、水回り事業を担うLWT事業をLIXILグループの成長を支える中核事業として強化してきました。また、デジタル分野への投資を進め、新しい戦略を推進することで、業界を主導する体制を築いてきました」
「しかしながら、私と取締役会の間で今後の方向性に相違があることがわかりました。取締役会の決定によりこの会社の舵取りを任されたのですが、今後の経営方針の転換という取締役会の判断を尊重したいと思います。この3年間の、みなさんの協力とこれまでの貢献に心から感謝しています」
その後、約10日間に瀬戸のコメントには400近くのリアクションが寄せられ、そのほとんどに「悲しい」というマークが付いた。中にはあえてコメントを寄せる従業員もいた。
「残念でなりません。瀬戸さんの方針がとてもオープンで大企業で働いているって思えました。仕事をしていて将来を明るく感じていたところなのに。残念です。できればやめないでいただきたいと切に思っております。方針の違いってなんだったのでしょうか。不安で仕方ありません」
「オープンな企業文化改革、フラットな組織改革、新価格制度、LIXILのあらゆる改革をスクラップ&ビルドで取り組まれており、いずれも共感できるもので軌道に乗ればきっと最高のLIXILになると思ってがんばってきたのですが、スクラップしたところでビルドの形を変えるのはあり得ません。ただただ不安です。瀬戸さんとしても本意ではないのかもしれませんが、このタイミングで退任しないでほしいです」
従業員向けの対応で、潮田、山梨と瀬戸の態度は異なった。新体制が発足した11月1日に潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった。それに広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立った。
広報担当役員が苛立った理由
ジンがLIXILグループに入社したのは2014年である。当時はベルギーのブリュッセルで仕事をしていたが、瀬戸の前任だった藤森義明に「広報体制をグローバル化するのに協力してくれないか」と誘われたのがきっかけだった。その藤森が急にCEOを退任するとなった時に社内は大混乱した。瀬戸の退任も藤森の時と同じくらい急である。ここで新体制がどういうつもりなのかを従業員にはっきりさせておかないと藤森退任の時の二の舞になると思ったが、潮田も山梨もどうやらそのつもりがない。
苛立った理由はまだあった。ジンが瀬戸から「クビを宣告された」という連絡を受けたのは10月27日である。びっくりして翌日の日曜日に「事態が飲み込めません。そもそも急すぎるのではないでしょうか」と潮田に連絡すると、「落ち着いてください。月曜日に説明しますよ。ジンさんは心配性なんだから」と諫められた。しかし「説明しますよ」といった29日月曜日に訪ねると、潮田は突然、「24時間以内にプレスストーリーを作ってください」と言った。おかげでジンは突貫工事を強いられた。
〈潮田さんと山梨さんは忙しいのかもしれないが、ひょっとすると従業員など眼中にないのかもしれない。だからメッセージを出そうとしないのではないか。しかし情報を発信しないことが経営にマイナスであることにそのうち気づくだろう。「心配性なんだから」と言っておいて、後になってから急に「交代会見のプレスストーリーを作ってくれ」と言った時と同じように態度を急変させるかもしれない。そのしわ寄せは広報に来るに違いない〉
そう考えたジンは改めて潮田と山梨に「社内は動揺しています。顧客も同じに違いありません。何も言わないのはかなり不親切じゃないですか」と食い下がった。潮田はようやく「ジンさん、それでは文面を作ってください」と言った。新体制が出した所信表明は広報部が作成した文書で、それがワークプレイスに載った。
瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある。『日経ビジネス』のインタビューでは「私は捨て石になることも多いが、布石を打つのが好きなんですよ。それに今期の利益を極大化する必要はないと思っている。10年後、20年後に花開く要素をどれだけ持っているかによって経営は決まるという考え方なんです」と語っているのはその象徴だ。
新体制スタート前後の潮田にとって、最大の関心事は瀬戸を追い出すことで、それ以外、例えば従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だったのだろう。広報作成のメッセージには「良い会社にして欲しい」「期待している」といったコメントもあったが、潮田の姿勢を批判する辛辣なコメントも寄せられた。
「感謝している、という言葉の果てが実質的解任なんですか? 世間が言わしめるほどのプロ経営者を招いて、続けて2人も。コーポレートガバナンスとはなんですか? 創業家のエゴですか? 彼ら2人を招聘されたのは取締役会の決定という名ばかりのあなたの独断ではないですか? 世間はそう思っています」
瀬戸に掛かってきた弁護士の友人からの電話
11月2日。金曜日の深夜に、吉野総合法律事務所の弁護士、吉野正己のスマートフォンが鳴った。掛けてきたのは瀬戸だ。新聞記事で瀬戸がLIXILグループのCEOを辞任したことを知っていた吉野はどう慰めたら良いのか分からず、とりあえず「大変だったなあ」と言うと、瀬戸は「その件で相談したいんだ」と言った。
瀬戸と吉野は私立武蔵中学校時代からの友人である。共に武蔵高校へ進み、卒業後、瀬戸は東京大学文科二類に、吉野は文科一類にそれぞれ進学した。受験時代は分厚い参考書でも2、3度読めば、ほぼ内容が頭に入ったという記憶力を持つ吉野は、外務省の上級職試験に合格して東大法学部を卒業、外務省へ入省したが、わずか6年で退職。退職後に司法試験を受けて弁護士になっていた。
瀬戸が辞任の顚末を話すと、吉野はこう答えた。
「取締役会が虚偽の情報に基づいて人事を決議したのなら、決議を無効にすることはできるよ。そんなことは俺がやってやる。ただ裁判には時間がかかる。それに潮田さんのCEO選任決議が無効になっても、瀬戸をCEOに選任する決議は別にやり直さなければならない。取締役会は潮田派が多数を握っているんだろ。選任決議に持ち込んだとしても瀬戸は選ばれないよ。残念ながら裁判に訴えても瀬戸のCEO復帰は難しいということだ。むろん手がないわけではない。臨時株主総会を開いて潮田さんと山梨さんを取締役から解任すること。でもそれはちょっと過激な行動だよな」
退任発表後の従業員やアナリストの反応、株価の動き、そして吉野の話を聞いて、今後のキャリアを考えれば大人しくしている方が得策ではないかという心境に傾いていた瀬戸の気持ちは少し変わった。
〈騒がないことが会社のためになるかも知れないとも考えたけれど、退任を惜しんでくれる人がいる。少なくとも真実は明らかにしたい。しかし吉野は裁判だと時間がかかると言った。そうであれば退任の経緯を指名委員会の人にきちんと認識してもらい、決議を覆すのが最善策かもしれない〉
まずは指名委員会だ。そう思った瀬戸は指名委員会から取締役会までに何が起きたのかを教えてくれた幸田や吉村に動いてもらおうと考え、2人に面会を申し込んだ。その一方で吉野に改めて連絡をして、「とりあえず幸田さんと吉村さんに会うつもりだ。話を聞いた後に会って、また相談させてくれ」と言った。
瀬戸からの電話を受けた吉野は当初、友人として軽くアドバイスをしているつもりだったが、次第にかなり由々しき事態であることがわかり、法曹家として見過ごしてはいけない気になってきた。
吉野は週末にいつでも瀬戸に会えるよう自宅で待機していた。しかし待てど暮らせど瀬戸から電話がない。ようやく掛かってきたのは11月4日、日曜日の夜だった。瀬戸は言った。
「申し訳ない。今日は吉野に相談することがなくなっちゃった。指名委員会を動かそうと幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。2人とも指名委員会から取締役会までの経緯をちゃんと教えてくれたのに、なんで急に距離を置くようになったのだろう。理由が分からない」
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