「特別な軍事作戦を実施することにした。ウクライナ政府によって八年間、虐げられてきた人々を保護するためだ」
二〇二二年二月二四日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるテレビ演説のあと、ロシア軍がウクライナ領内に侵攻した。一九万ともいわれるロシア軍によってウクライナを早々に屈服させるとみられていたが、想像を超えるウクライナの徹底抗戦により、プーチンのもくろみは崩れ去った。筆者は「これは形を変えた第三次世界大戦の号砲ではないか」と感じていた。
様々なメディアで、日々戦場となったウクライナの様子が報じられている。それはいわば、「リアルな戦場」であり、兵器や兵士が投入されて、さらに民間人にまで被害が及ぶ血を流す戦闘が行われている。
しかし、この戦争は、それだけではない。西側諸国によるロシアへの経済制裁やウクライナへの支援、メディアが伝える報道(フェイクニュースも含む)や論評、ウクライナのゼレンスキー大統領をはじめとする各国のリーダーの発信するメッセージなども、戦争の行方に重要な影響を与えている「もうひとつの戦場」なのだ。
なかでも重要性を増しているのは、サイバー空間である。近年、インターネット技術の進歩により、戦争の在り方は大きく変わった。「ハイブリッド戦争」などと呼称されているように、IT技術、AI技術を複合的に組み合わせて、軍事作戦を遂行することは、珍しいことではなくなっている。
筆者はかねて、こうした「サイバー戦争」に注目し取材を重ねてきた。これまでサイバー戦争は、リアルな戦争に比して「添え物」のような扱いを受けてきた。しかし、本書でも紹介するが、ウクライナの戦争では、サイバー戦争、情報戦争の真価がこれまで以上に注目を集めている。
こうした米露を中心としたサイバー戦争を、静かに注視している国がある。それが、アメリカを超えて世界最大のサイバー大国になろうともくろむ中国だ。
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本書の流れを述べておこう。第一章では、ウクライナの戦争の情報戦争としての側面について考える。スパイ出身のプーチン大統領が作り上げたロシアが、いかにして世界有数のサイバー大国となったのかを紹介する。この戦争では、単なるロシアのサイバー攻撃だけでなく、アメリカとその同盟国の情報(インテリジェンス)戦にもみるべき点が多い。
第二章では、世界の覇権を狙う中国の、サイバー技術と人間の両方を使い「情報の不正取得」に特化したスパイ活動の実態を描く。
第三章では、中国が力を注ぐ「5G」「AI」「デジタル通貨」といったサイバー空間の分野で、現在、何が起こっているのかを考える。たとえば、ウクライナの戦争では、経済制裁の一環として、ロシアのSWIFT(スウィフト)からの排除に注目が集まった。そのようなアメリカ主導の金融秩序を中国がくつがえそうと試みていることを明らかにする。
第四章は、アメリカのドナルド・トランプ大統領の時代の米中、米露関係を描く。ロシアのサイバー攻撃という“最強”の援護射撃を受けて大統領になったトランプは常にアメリカのインテリジェンスを混乱させてきた大統領であると同時に、アメリカの対中政策を大きく転換させた大統領でもあった。トランプによって、それまでの対中融和路線から中国をはっきりと「敵」と位置付ける強硬路線に転じたのである。そこには、中国によるサイバー戦、情報戦がアメリカに大きなダメージを与えているという認識の転換があった。
第五章では、トランプから政権を引き継いだジョー・バイデン大統領の作る対中包囲網について記す。それは、「アメリカファースト」から「同盟強化」への転換である。中国は、ヨーロッパにスパイ網を張りめぐらせ、世論工作などを行ってきた。それまで、一帯一路などの投資によって、中国への批判に及び腰だったヨーロッパ諸国が、香港の民主化運動やウイグル族弾圧を目の当たりにして、「反中」に舵をきりつつある。
その対中同盟関係を再構築する最中に起こったのが、ウクライナの戦争だった。
第六章は、日本の現状を書いた。最後に日本のインテリジェンスに何が必要なのか、これからの日本はどう進めばよいのかを筆者なりの視点から提言した。
日本でサイバー戦争やスパイは、漠然としたイメージはあっても、日々起こっている出来事と結びつけて受けとめられないことが多い。しかし、行政や企業の情報流出もサイバー戦争の一環なのである。
本書では、サイバー戦争の担い手であるハッカーやスパイが、我々の身近なところに潜み、暗躍している姿を克明に描いた。日本人の危機意識を改めるきっかけになれば幸いだ。
(「はじめに」より)
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