- 2022.10.21
- 特集
1分で体感! 一穂ミチ、最新長編『光のとこにいてね』の世界 スペシャル・ショート・ストーリー
文:一穂 ミチ
『光のとこにいてね』(一穂 ミチ)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)。
『光のとこにいてね』は、7歳の時に運命の出会いを果たした2人の、四半世紀にわたる物語を描いた感動作です。
刊行に先立ち、その世界観をいち早く読者の皆さんに知ってもらうべく、一穂さんが特別な掌編を書き下ろして下さいました。
初めての出会いから8年後――。高校生になったある日、結珠と果遠に訪れた、ささやかだけれど、煌めくような一瞬をお楽しみください。
未満少女
「結珠、見て見て」
四月の初め、体力測定の授業でのことだった。グラウンドの隅っこにしゃがんで他の人たちの立ち幅跳びが終わるのを待っていると、後ろにいた亜沙子(あさこ)から声をかけられた。
「なに?」
振り返ると、亜沙子は両方の手のひらを上下に合わせて鳥のくちばしみたいな形をつくり、「ぱかっ」と言いながら開いてみせた。
「結珠さん、僕と結婚してください!」
手の中には、シロツメクサの指輪が転がっていた。そこら辺に生えているものを摘んだんだろう。
「なにしてんの」
先生の目を盗んでくすくす笑い合う。亜沙子はその指輪を私の薬指に嵌めると「ぶかぶか」と唇を尖らせた。
「いーなー結珠、指細くて。あ、ご安心ください、サイズ直しも無料です」
茎を輪にして巻きつけただけの簡単な造りなので、ほどいて締め直せばいい。私は薬指に咲いた白い花を眺めて「かわいい」と言った。
「子どもの頃、やらなかった?」
「冠(かんむり)なら。指輪もあるんだね」
「冠のほうが難易度高いじゃん」
指輪、果遠ちゃんは知ってるかな。無意識に目で探したけれど、彼女が振り分けられたグループは体育館で測定中だとすぐに思い出す。ちいさい頃、ほんの短い間仲よくした女の子と高校で再会したものの、私はどう接したらいいのかわからなかった。
「ねえ、シロツメクサの花言葉知ってる?」
上の空の私に亜沙子が尋ねた。
「え、知らない、『控えめ』とかそんな感じ?」
どこにでもあってひっそり咲いている、でも見つけるとちょっと嬉しい……そんなイメージからの連想は「ブッブー」と派手な不正解を食らった。
「『幸運』『約束』でした」
「ふうん」
漠然としてる、と思いながら頷くと、隣の子が「『復讐』って聞いたことある」と口を挟んだ。
「え、怖いんだけど」
「葉っぱの枚数によって違うんじゃなかった?」
とまた別の子も加わってくる。
「葉っぱ? それって単にクローバーの花言葉?」
「シロツメクサってクローバーだからそれでいいんだよ」
「昔、六枚のクローバー見つけたことある」
「うそ、レアじゃん」
クローバー談義を聞き流していると、亜沙子が「どうしたの」と私の背中を軽くつつく。
「ぼんやりしちゃって」
「うん――『幸運』って何かなあって」
「決まってるでしょ」
草の指輪を嵌めたままの手を持ち上げ、友人はいたずらっぽくささやいた。
「この大きさの、本物のダイヤの指輪買ってくれる彼氏と出会えること」
「百カラットくらいあるんじゃない?」
「夢はでっかく、だよ。結珠も狙ってこ」
「わかった、頑張る」
発破(はっぱ)をかける亜沙子も、ノリにつき合う私も、「彼氏」なんて存在にちっともぴんときていないのを、互いに知っていた。アイドルや俳優、あるいはアニメ好きの友達が見せてくれるCGの「推し」と同じくらい遠い存在だった。いつかは男の人を好きになり、互いの「好き」がうまく噛み合えば恋愛や結婚をする――そんな未来、想像もつかない。その「いつか」がきたら、想像もつかなかった十五歳の自分を、子どもだったのね、と振り返るだろうか。「いつか」の私は、今の私とは別人。そう思うと、不安できゅっと胸が苦しくなる。
あの子に話したら、何て言うだろう? 「そうだね」と真顔で頷くか、「どっちも結珠ちゃんだよ」と笑い飛ばすか。私は、どちらでも嬉しい。果遠ちゃんが私のためにかけてくれる言葉なら、何でも。
七歳の時、果遠ちゃんに会えたのは幸運だった? 薬指の白い花に問いかける。
うん。
他の人にはわからない、私だけに価値がある幸運。あのちいさな幸運を花冠みたいに連ねることができたら、私たちはきっと幸福になれたのに。
「はい、幅跳び全員終わったね、じゃあ体育館組と交代するから移動」
先生の声で、我に返る。
「結珠、行こ」
「うん」
私は立ち上がり、指輪をそっと地面に落とした。
「体育館で何やるんだっけ?」
「長座体前屈と、反復横跳びと、あとシャトルラン?」
「あー、全部嫌い」
花は萎(しお)れ、すぐ誰かに踏まれてしまうだろう。私もきっとすぐに忘れる。未来について、幸運と幸福について考えた、十五歳の今を。だって、考えないほうが楽だから。
体育館からグラウンドに移動して、先生が指示した場所にしゃがみ込んだ時、白いものが落ちているのに気づいた。拾い上げると、シロツメクサでできた指輪だった。茎を丸め、余った部分はねじねじと巻きつけてある。さっき、グラウンドで測定していた班の誰かが作ったんだろうか。花はしんなりとくたびれ、端っこが茶色く変色しかけていた。無造作に摘まれた野の花の侘(わび)しさに、また捨てる気にはなれず、わたしはそっと自分の指に嵌めてみる。左手の薬指にぴったりだった。それが特別な指だって、いつ、どうやって知ったんだっけ? 結珠ちゃんが教えてくれたのかもしれない。果遠ちゃん、とわたしに笑いかけてくれたたったひとりの女の子。
「――はい、じゃあ立ち幅跳び、校倉さんから」
「あ、はい」
先生に名前を呼ばれ、慌てて立ち上がる。見つかったら怒られるかもしれないので、指輪はこっそり体操服のポケットにしまった。どんどん萎れていくだけだとしても、せめて、持って帰って小鳥のお墓に供えよう。
わたしが、生まれて初めて嵌めた指輪だから。
了
スペシャル・ショート・ストーリーはいかがでしたか?
『光のとこにいてね』の発売は2022年11月7日を予定しています。
発売まで、楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
一穂ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。ボーイズラブ小説を中心に作品を発表して読者の絶大な支持を集める。21年に刊行した、初の単行本一般文芸作品『スモールワールズ』が本屋大賞第3位、吉川英治文学新人賞を受賞したほか大きな話題に。主な著書に『ふったらどしゃぶり When it rains, it pours』『パラソルでパラシュート』『砂嵐に星屑』など多数。