第99回オール讀物新人賞を射止めた由原かのんさんが、受賞作を含む連作短編集『首ざむらい 世にも快奇な江戸物語』で単行本デビューしました。刊行にあたり、本書への想いを寄せてくださいました。
古来より物語に登場する生首は恐ろしい。恨みを呑んだ亡者の首が、飛び来たって人に仇を為す。そんな強烈な挿絵を児童書で目にして以来、私は生首の恐怖に苛まれてきた。陽が落ちてから下駄箱の上に置かれた夫のフルフェイスヘルメットを目にすると、あの生首の挿絵が蘇って戦慄する。怯えながらも呆れ果てる。年甲斐もなく生首に怯える自分が情けなくて、人に優しい首を考えてみることにした。
小生意気でお茶目な若者の首――そんな想像を重ねるうちに「首ざむらい」は出来上がっていった。我ながら面白いと思ったので、これを新人賞に応募する作品にしようと考えた。ただ自分が思い描いていた時代小説とは随分と様相が異なっている。こんな作品が受賞するはずはない。だが書きたくてたまらない。とにかく面白いものを書いて、今回は二次通過を目指そう。そう決めると妄想に拍車が掛かった。
だが頭の中で出来上がっていくのは、かなり奇妙な話であった。それゆえに地に足のついた説得力のある物語に仕立てたい。たとえ奇譚であっても、不可思議な事象には何らかの根拠が必要なはずである。生首が、なぜ首だけで生きているのか、どういう原理で浮揚するのか、ここは屁理屈でも筋を通しておくべきだと思った。
というわけで、その屁理屈である。まず、何らかの科学力を持った者が必要だ。やはり地球外生命体がよかろう。それが首だけになった男に薬剤を使用するとしよう。その薬剤は体液の代替として首に浸透する。これにアルコール分と太陽光が加わることで、栄養と酸素が脳に回る。それで首が何らかの理由で興奮すると、この薬剤がガス化して風船のように膨らみ浮揚する。よし、これで行こう。今思うと、かなりふざけた理屈だが、批判者のいない孤独な作家志望者はこの辺りで良しとしてしまう。
さあ、これで首が縦横無尽に飛び回る話が書けるぞ――いや、待て。自由に飛び回るための推進力はどうなっているのだろう。それを得るために首からガスを放出してしまうと、生命維持に必要な薬剤も抜けて、即座に死んでしまうのではないか。これは駄目だ。どう考えても風船の理屈で浮揚するこの首が、ハヤブサの如く飛び回るのは無理だ。せいぜいふわりと浮く程度、風に流されて移動するだけではないか。ガスの偏り具合で回転ぐらいは出来るかもしれないが――仕方ない。ふわふわと頼りなく飛ぶ首でいい。何らかの制約を設けたほうが、むしろリアリティがあっていいだろう。
二次通過を目指して書いたこの物語は、第99回オール讀物新人賞をいただいて、なんと単行本にまでなってしまった。今でも夢のように思えてならない。
夢と言えば、物語中のある登場人物が「分かち合う者のない思い出は、夢まぼろしと変わりませぬ」と語る言葉がある。読んで字の如しだが、この逆も言えるのである。たとえ夢まぼろしであっても、その夢想を分かち合う者を得れば、幻も真実となり得る。私の中だけにあった妄想が文章を通じて読み手に伝わり、その人の中で息づいた時に物語は独り立ちする。小説に限らず絵画であれ音楽であれ、創作とは心を形にして他者と思いを共有することである。物語が本として残るだけでなく、お茶目な首が読者の中で飛び続けてくれたら、それだけで私は嬉しい。この言葉には、そんな思いが籠もっている。
生涯に一冊でいいから、本を出したいと願い続けてきた。それが還暦を過ぎてから、ようやく叶ってくれた。遅咲きどころか狂い咲きかもしれないが、物を創る人間はそのくらい奇妙なほうがいいと我が身を慰める。ここまで来られたのも、多くの支えを得たおかげであると思う。それなのに不義理を重ねていることに心が痛む。新人賞選考委員の諸先生方にもお目にかかる機会に恵まれず、きちんと御挨拶していない。この場を借りて、改めて御礼申し上げます。幼少時からひどい空想癖があって変わり者と言われた私に、その性癖を活かす場を与えてくださいました。有難くてひれ伏すばかりです。本当に有り難うございました。
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