元看護師が描く大人気シリーズ第二弾『ナースの卯月に視えるもの2 絆をつなぐ』(秋谷りんこ/文春文庫)が絶賛発売中です。2巻では、主人公の看護師・卯月咲笑の大切な存在として、アンちゃんという猫が登場。二匹の猫と暮らす秋谷さんが、ご自身の猫にまつわる思い出を綴ります。
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ある時期、正確には二〇二二年の三月から七月までの四か月間、私は「ぺっちゃんこⅮちゃん」と名付けた猫のぬいぐるみを肌身はなさず抱いていました。
肌身はなさず、とは本当に文字通りで、中綿の少ないぺたっとしたぬいぐるみを胸に張り付けるように抱いて一日を過ごし、撫でながら「かわいいね」と話しかけていました。お風呂に入るときだけ「ちょっと待っててね」と声をかけて洗濯機の上に置いて、入浴後にまた胸に抱いて、寝るときも布団に入れて添い寝をしていました。何かの拍子に見失うと「ぺっちゃんこⅮちゃんがいない!」とひどく気持ちがざわざわしました。あわてて捜し回って、見つけるとホッとしてまた胸に抱いていました。
今思い出すと、だいぶ心が弱っていたのでしょう。ぺっちゃんこⅮちゃんなしでは、とうてい過ごせなかったのです。
ぺっちゃんこⅮちゃんの「Ⅾちゃん」は、私が飼っていた猫の名前です。
Ⅾちゃんとは、私が看護師として働き始めた一年目に、近所の公園で出会いました。そのときは、片手に乗るようなちいさな子猫。周囲に母親らしき猫もきょうだい猫も見当たらなかったこと、毛づくろいをされている様子じゃなかったこと(背中に虫のタマゴがうみつけられていました)から育児放棄をされてひとりぼっちだろうと判断して、家に連れて帰りました。自分で拾った初めての猫です。甘えん坊でくいしんぼうで、とてもかわいい男の子でした。結婚後はもちろん新居に連れていき、長い時間を一緒に過ごした大切な家族です。
猫は、人間の四倍の早さで年をとると言われています。平均寿命は十五年。
Ⅾちゃんはお年寄りになり、十五歳のとき、腎臓の病気がみつかりました。人間でいうと七十代後半くらいだったので、点滴と内服はしましたが、入院はせず自宅でのんびり過ごしてもらうことに決めました。
獣医さんは「療養食だけを勧めるのが正解なのかもしれませんが、Ⅾちゃんはもうおじいちゃんです。年齢と今後何年食べられるかを考えると、好きなものを食べさせてあげてもいいんじゃないか、とも思います。それはもう、飼い主さんが決めてください」と言いました。なんでも相談でき、飼い主の気持ちを尊重してくれる良い獣医さんでした。
食欲のないⅮちゃんが少しでも食べられるものを探して、小皿に十種類くらい並べて置いておいて様子を見ます。お刺身、鶏肉を茹でて細かく刻んだもの、ちゅ~る、カリカリごはんをお湯でふやかしたもの、いろんなものを試しました。Ⅾちゃんはカツオのたたきがお気に入りで「まさか、たたきが好きとは! なかなか渋いね」と夫と顔を見合わせて笑うこともありました。
よだれで汚れる口まわりを拭く。目やにを拭く。おトイレに失敗してしまったらぬるいシャワーで洗い、しっかり乾かす。夜中でも早朝でも、物音がすればすぐに起きて様子を見る。便秘がちだったので、猫用のサプリメントをいろいろ試す。お腹を撫でてマッサージをする。冬はパネルヒーターを使い、夏はエアコンで調整し、お気に入りの寝床の環境を整える。ブラッシングをし、爪を切る。シャンプーシートで体を拭く。すぐ吐くので、毎日毛布を取り換えて洗濯をする。薬を飲ませる。点滴に連れていく。何をどのくらい食べたのか毎回計測し、記録する。
私の毎日はⅮちゃんを中心に回っていました。
猫は十年たつと人間の言葉を理解する、と言われています。夫が先に起きてⅮちゃんの寝床へ行き「Ⅾちゃん、りんこ起きてるよ」と声をかけると、私はいっさい声を発していないのに、Ⅾちゃんは必ずむくりと起き上がって私のところまで歩いてきました。そして布団に入ってきて、私の胸の上でしばらくゴロゴロと言いながら寝て、気が済むと出ていき、自分の寝床に戻るのでした。
「Ⅾちゃんは、絶対俺の言葉を理解している」と夫は笑っていました。
そんな数年を過ごし、ある晴れた日の朝、徐々に力が弱っていた前足が、とうとう体を支えることができなくなりました。いよいよかもしれない。私は、Ⅾちゃんのそばを離れませんでした。Ⅾちゃんは横になって、何も食べずに、水も飲みません。その日は、夫と二人で寝ずに見守りました。Ⅾちゃんが、おしっこをもらしたとき、残された時間はもう本当に少ないと、私は覚悟を決めました。涙が溢れて、どうしようもなくて、若い頃と比べると艶のなくなった柔らかい毛を撫でながら「大好きだよ」「そばにいるよ」とずっと声をかけ続けました。
翌日の早朝、Ⅾちゃんは私と夫に見守られながら、眠るように亡くなりました。十八歳でした。顔のまわりを洗ってあげて、体を拭いてあげて、おやつやおもちゃと一緒に、段ボールで作った棺に寝かせました。
火葬してもらって家に帰ってから、途方もない喪失感が胸を覆いつくしました。自分が何をすればいいのか、どうしたらいいのかまったくわからないのです。何もすることがない。顔を拭いてあげる必要もないし、おトイレも気にしなくていい。食べたごはんの計測もしなくていいし、ブラッシングも爪切りもない。毎日薬をあげていた時間に「あ!」と立ち上がってから「ああ、もういいんだ」と座る。そんな日々が続きました。
そんなとき、家族が「Ⅾちゃんにそっくりなぬいぐるみを見つけた」と私にくれたのが、冒頭で書いた「ぺっちゃんこⅮちゃん」でした。
白に茶トラのぶち模様は本当にそっくりで、肥満体型だったⅮちゃんと比べると中綿が少なくてぺっちゃんこに見えました。だから私は「ぺっちゃんこⅮちゃん」と名付けて肌身はなさず、Ⅾちゃんを愛でるようにぬいぐるみをかわいがりました。
四か月ほどたったある日、些細なきっかけで、子猫の譲り先を探している人と出会いました。その人は、「秋谷さんが猫ちゃんを本当に大事に思っているのがわかるから、ぜひもらってもらいたい」と言ってくれました。
でも、Ⅾちゃんのことが忘れられずにぬいぐるみを抱いて過ごしている状態なのに、新しい子猫を飼い始めるのは、Ⅾちゃんにも子猫たちにも悪いような気がしました。Ⅾちゃんを早く忘れたがっているみたいで天国のⅮちゃんが悲しむかもしれない。Ⅾちゃんの代わりを探していたみたいで、新しく来る子猫ちゃんたちが嫌な思いをするかもしれない。決断できずにいました。
悩んでいたあるとき、Ⅾちゃんの夢をみました。夢のなかでDちゃんは、私の布団に潜り、胸の上に乗ってゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくれました。あたたかくて本当にかわいかった。会えて嬉しい。目が覚めてからも、ぬくもりが残っている気がして涙がでました。
もしかしたら、新しく子猫ちゃんをお迎えしても「僕は僕だよ」と言いにきてくれたのかもしれない。悲しんでいるより、笑っていてほしい。元気に過ごしてほしい。そんなふうに言われた気がしました。私の思い込みかもしれないけど、いつまでもⅮちゃんを忘れられずに悲嘆にくれて暮らすより、Ⅾちゃんのことを大切に思いながらも新しい一歩を踏み出す。そうしてもいいのかもしれないと思えました。
このとき、私は初めてⅮちゃんの死を受け入れることができたのだと思います。人間と猫では、もちろん違います。でも、身近で大切な存在がいなくなってしまうことがどれほど悲しいのか、つらいのか、現実を受容することの大変さを知りました。亡くなった患者さんのご家族の気持ちが、ほんの少しだけ、自分もわかった気がしました。
決心がついた私は、新しく姉妹猫をお迎えすることにしました。
その日から、ぺっちゃんこⅮちゃんは、Ⅾちゃんのお骨と一緒に子猫たちが入れない部屋に片付けることにしました。
私の生活はにぎやかになりました。子猫姉妹は元気いっぱいで、走りまわるし、カーテンにのぼるし、おもちゃに飛びつくし、ごはんもモリモリ食べる。若い猫ってこんなに俊敏だったっけ、と笑ってしまうほど、激しく遊んでいます。
私の、どうしようもない時期をともに過ごしてくれた「ぺっちゃんこⅮちゃん」は、Dちゃんと一緒に騒がしい私たちを見守ってくれているでしょう。
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