経済減速が生んだ中国社会の閉塞感
中国社会で無差別殺傷事件が多発している。私たちが本書の原稿をほぼ書き上げた2024年11月に限っても多くの事件が起きた。11日には広東省珠海市の運動施設で男が車を暴走させ、35人が死亡し43人が負傷した。また16日には江蘇省無錫市の職業専門学校で元学生の男が刃物を振るい、8人が死亡した。さらに19日には湖南省常徳市の小学校前で登校中の児童たちの中に車が突っ込んだ。この他にも公式な発表はないが、暴走した車が無差別に人をはねる事件が複数発生していると伝えられる。
これに先立って、6月には江蘇省蘇州で日本人学校のスクールバスが、さらに9月には深圳で登校中の児童が刃物を持った男に襲われ、蘇州ではバスの案内係の中国人女性が、深圳では児童が死亡するという痛ましい事件が起きており、日本でも大きく報道されていた。
中国の一部世論では、これらの無差別殺傷事件を、敵を残忍なやり方で大量殺戮したとされる明末の農民反乱の指導者になぞらえて「献忠」と呼ぶようになった。また、その動機について、生活に行き詰まり人生に絶望した人々が「社会に報復」したとの見方が広がっている。事件の加害者を呼ぶ言葉として「無敵の人」という、失うものがなく犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を指す日本生まれのスラングも普及しつつある。
日本人学校の襲撃事件に関しては、反日感情の高まりとショート動画によるデマ投稿が原因だという指摘もある。しかし、無差別殺傷事件がこれだけ多発した背景としてだれもが否定できないのが、経済の落ち込みからくる社会の閉塞感だ。例えば、上記の無錫市における事件の容疑者は、専門学校の卒業試験に合格できなかったことや、実習先での報酬に不満を持っていたという。一連の事件ではほとんどの場合で動機が明らかにされていないが、経済的に窮地に陥った人が怒りの矛先を恨みのある特定の相手ではなく、社会全体、すなわち市民に対して向けていることをうかがわせるようなケースが多い。
裏返せば、2024年における中国経済の状況はそれほどまでに深刻だと言える。これまでにも多くの社会問題はあったものの、高成長を続ける経済が不満や閉塞感の拡大を押し止める防波堤となっていた。それが、中国経済の低迷、特に本書でも詳しく論じる不動産価格の低迷によって、いびつな形で顕在化してきている。無差別殺傷事件に象徴される社会の閉塞感は、とりあえずはこういった文脈で理解できるだろう。
不動産危機とEV急成長はコインの裏表
ただ、中国経済の理解は一筋縄ではいかない。マクロの経済状況にだけ注目すると悪化ばかりが目につくが、別の面に目を向けると一部の新興産業の快進撃という明るいニュースもある。特に電気自動車(EV)、太陽光パネル、リチウムイオン電池は「新三様(新三大輸出製品)」と呼ばれ、ヨーロッパをはじめとして世界の市場を席巻しつつある。脱炭素に不可欠な次世代の産業で、中国企業、特に大手EVメーカーのBYD(比亜迪股份有限公司)をはじめとするリーディングカンパニーは圧倒的なまでの競争力、先進国の企業がまともに戦っても太刀打ちできない実力を身につけた。欧米諸国は警戒を強め、関税の引き上げなどの対抗策を打ち出しているが、中国側はそんな批判はどこ吹く風といったおもむきで、新興国をはじめとした海外への製造拠点の移転を積極的に進めている。
マクロ経済の低迷、それに由来する社会全体の閉塞感と、それをものともしないような一部の民間企業の躍進が共存している。中国経済の現状は暗いのか、明るいのか。どこに目を向けるかで見える景色がまったく違うのが、現在の中国経済の本質であり、それだけにその実像は一般にはなかなか理解されない。
中国経済に関する書籍はしばしば、楽観論もしくは悲観論、どちらかに大きく偏りがちである。そうした中で本書の特徴は、不動産市場の低迷による需要の落ち込みと、EVをはじめとする新興産業の快進撃と生産能力過剰という二つの異なる問題を、中国経済が抱えている課題のいわばコインの裏と表としてとらえる点にある。
なぜなら、これら二つの問題はいずれも「供給能力が過剰で、消費需要が不足しがちである」という中国経済の宿痾とも言うべき性質に起因しており、それが異なる形で顕在化したものにほかならないからだ。「光」と「影」は同じ問題から発しているのだ。
不動産価格の低下から生じた経済不振によってピークアウトを迎えた中国経済には、これまでにない、大きな不確実性が生じている。そのことが冒頭に述べた社会の閉塞感を生んでいるのも事実だ。しかし、影の部分が拡大しているからと言って、光の部分に全く目を向けなければ、やはり問題の本質を見誤るだろう。
中国経済は過去20年にわたり世界経済を牽引する存在であった。とりわけ日本経済にとって、中国は製造拠点としても市場としてもきわめて重要な存在であった。その中国がどのような岐路にさしかかっているのか、今何が起きているのか、そしてどのような未来へと向かうのかを知ることはきわめて重要だ。表面的なトピックではなく、複雑でわかりにくい話であっても、現在の混乱をもたらしている本質的な問題とは何かを、論理的な整合性をもって理解することは不可欠だ。それが、私たちが本書を執筆する上で何よりも重要視したことである。
本書の構成
以下、本書の構成を簡単に説明しよう。
本書前半の第1章から第4章では中国の不動産市場の危機を取りあげている。
まず、第1章では、中国不動産市場で何が起こっているのか、著者の一人である高口が行った現地取材を中心として現状を描いていく。
第2章では、コロナ禍以降の中国のマクロ経済政策を取りあげる。新型コロナウイルスの流行に伴う金融政策は、きわめて迅速かつ大胆だった一方、財政の拡大は限定的で、他国と比べても小規模だった。そのことはその後の不動産不況に直結する。
第3章では2010年代にブームを迎えた、都市開発と不動産リスクとの関係について取りあげる。当時の都市開発は先進地域の沿海部から遅れた内陸部に主要な舞台が移ったが、そのことがその後の不動産市場の歪みにつながっていく。
第4章では、なぜ中国の不動産価格はこれまで長きにわたって上昇を続けてこられたのか、そのからくりを「合理的バブル」というキーワードによって解明する。その背景には社会保障全般、特に賦課方式の年金制度の不備がある。
後半となる第5章以降では、不動産価格の下落による社会の悲観ムードと、新興産業が台頭し、海外の市場を席巻するといういわばイケイケの状況が共存しているのはなぜか、という本書における核心的な「問い」に迫っていく。
まず第5章では、高口による中国現地取材、在日中国人へのヒヤリングを中心に、中国社会で高まる悲観論が個人と企業をどう変えたのかを見ていく。
第6章では、不動産危機と共に顕在化した、地方政府の財政難を取りあげる。現下の地方財政の苦境は、「中央と地方の綱引き関係」という中国経済が抱えるもう一つの難問の存在も浮き彫りにしている。
第7章では、新興産業の代表としてEV産業を取りあげ、産業政策ならびに「殺到する経済」をキーワードに、その台頭の背景と要因を探る。政府の補助金と、「殺到する経済」とも評される旺盛な市場競争がもたらした強大な供給能力は、一方でなかなか拡大しない国内消費という需要サイドの課題をも浮き彫りにした。
最終章である第8章では、「供給能力が過剰で、消費需要が不足している」という中国経済の根本的な課題に注目し、本書で論じてきた新興産業の台頭という「光の部分」と、不動産不況がもたらした経済低迷という「影の部分」をつなげる議論を行う。
本書の執筆中、2024年11月5日に行われた米大統領選挙では、共和党候補のトランプが民主党候補のハリスに圧勝し、政権発足とともに大幅な関税の引き上げが行われるとの憶測を呼んでいる。このことは、高成長が続いた時代が終わりを告げ、将来像が不透明になっている中国経済の不確実性をますます高めるだろう。
しかし、たとえそうなったとしても、本書で論じた中国経済の構造は短期的には変化しないと見ている。「殺到する経済」という言葉で表現される、製造業における柔軟さと圧倒的なコスト削減能力という“強み”、その強い製造業の供給能力を吸収するだけの国内需要の広がりを欠きがちという最大の“弱み”は今後も継続していくだろう。
その意味では、本書は中国経済のピークアウトという時事的な関心に応えたものでありながら、より射程の長い議論として展開した。その課題をクリアできているかどうかは、読者の判断にゆだねたい。
「まえがき」より
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『ピークアウトする中国』梶谷懐 高口康太・著
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