
- 2025.03.11
- 読書オンライン
祝! 直木賞受賞!! 科学という営みを通して人のドラマを描く 伊与原新の世界を、デビュー作から直木賞受賞の最新作まで網羅する
大矢 博子
ブックガイド・伊与原新の世界
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
直木賞受賞作『藍を継ぐ海』は日本各地を舞台に、そこで暮らす人々の人間模様を科学の営みとともに描いた短編集である。この手法は今や伊与原新のお家芸と言えるが、そのつもりで著者の初期作を手に取ると驚くかもしれない。
デビュー作の『お台場アイランドベイビー』は首都圏直下型地震後の東京を舞台に、ストリートチルドレンを巡るSF風味の入った骨太な社会派サスペンスだった。一部に登場する地震学者の言動に理系要素は見られるものの、全体としてはアクションあり謀略ありのエキサイティングなエンターテインメントだ。

新人離れした筆致に驚かされたものだが、続く『プチ・プロフェスール』(『リケジョ!』に改題文庫化)にはまた別の驚きがあった。デビュー作からは一転、理論物理学を専攻する大学院生の女性が、家庭教師先の“リケジョ”志願の小学生に振り回されつつ、いろいろな事件を解決するというユーモラスなほのぼの連作ミステリーだったのだから。
本書以降、しばらくは科学者やその周辺人物を主人公にしたミステリーを相次いで発表する。
論文の捏造や盗用を主題に据えた『ルカの方舟』、地球のS極とN極が反転するという壮大なスケールのパニックSF『磁極反転』(『磁極反転の日』に改題文庫化)。『博物館のファントム 箕作博士の事件簿』は自然史博物館を舞台に、動植物から鉱物までバラエティに富んだ自然物をモチーフにした連作ミステリー。『梟のシエスタ』(『フクロウ准教授の午睡(シエスタ)』に改題文庫化)は象牙の塔のパワーゲームを変わり者の准教授が搦手から解決していく連作だ。『蝶が舞ったら、謎のち晴れ―気象予報士・蝶子の推理―』では、高飛車な気象予報士が天気にまつわる事件の謎を解く。

硬派でシビアな長編あり、ライトな連作ありとその作風は幅広いが、理系の知識を活かした謎解きを軸に据える作品がここまでは多かった。だが転機になったのは二〇一六年に刊行された『ブルーネス』ではないだろうか。
東日本大震災のあと、予知できなかったことを悔やむはぐれ者の科学者たちがチームを組んで津波予測に挑むというこの物語は、主人公こそ専門家だが、彼らがさまざまな人々を巻き込んでいく様子がひとつの読みどころとなっている。それは地震や津波という災害は――ひいては科学は学者だけのものではなく、私たちの暮らしの中に存在し、日々の生活に深く関わっているというメッセージに他ならない。また、本書はミステリーを離れた初めての作品でもあった。

ニセ科学をテーマにした『コンタミ 科学汚染』を経て、二〇一八年刊行の短編集『月まで三キロ』でついに伊与原新はブレイクする。死に場所を探す男とタクシー運転手の出会い、食堂に毎日やってくる客を宇宙人だと思い込んでいる小学生などなど、登場するのは市井の人々だ。だがそこに、まるで寄り添うように科学の知識や情報が入ってくる。壮大な宇宙の営みの中に私たちは生きているのだと、物語がそっと教えてくれる。本書で新田次郎文学賞を受賞。二〇二〇年刊行の『八月の銀の雪』もまた、その系譜に連なる短編集だ。悩む人や挫折した人々が、それまで縁のなかった科学的な世界に触れることでものの見方が変わっていく。心に沁みわたる物語ばかりだ。

この二冊の間に刊行された十代向けの青春小説『青ノ果テ―花巻農芸高校地学部の夏―』もいい。岩手県花巻を舞台に繰り広げられる地学部の一夏。地学要素はもちろんだが、青春の苦くも甘い足掻きの描写が絶品。鉱物を愛した宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がモチーフになっているので文系読者にオススメだ。
翻って大人の青春を描いたのが『オオルリ流星群』である。高校時代のひと時をともに過ごしたメンバーが四十五歳になって再集結、町に天文台を作る物語だ。皆それぞれ悩みや挫折を抱えながらも、ここからもう一歩を踏み出そうとする姿に力づけられる。
そしてこれらの、素人が集まり科学的な何かを成し遂げるという構成や、科学は学者だけのものではなく私たちの暮らしの中にあるというテーマ、そして知らないことを知るというプリミティブな楽しみのすべてが入っているのが、ドラマ化もされて好評を得た定時制高校科学部の物語『宙(そら)わたる教室』である。

駆け足だがこうして振り返るに、科学者が探偵役を務めるミステリーも、素人が科学に触れて何かを得る青春小説も、挫折した人を科学が優しく包む物語も、作風は異なるように見えて伊与原新はずっと、科学という営みを通して人のドラマを描いてきたのだとあらためて感じ入った。それこそが伊与原新の世界なのである。
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