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悪魔的な作家のしたたかさに唸る

悪魔的な作家のしたたかさに唸る

文:青崎 有吾 (作家)

『名探偵と海の悪魔』(スチュアート・タートン)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『名探偵と海の悪魔』(スチュアート・タートン)

 スチュアート・タートンの小説は悪魔的である。

 単に異質で異端、というだけではない。おそろしく精密に組み上げられたもの、冷酷なまでに知的なもの、どうしようもなく誘惑的なものを、人はしばしば「悪魔的」と形容する。ではスチュアート・タートンの「悪魔的」はどの意味においてか?

 すべてだ。

『名探偵と海の悪魔』は、怪奇に満ち、プロットは精密で、謎解きの興奮を備え、読み始めたらやめられない。要するに、かなりすごい本だ。

 

 スチュアート・タートンは一九八〇年生まれの英国作家。旅行ライター業のかたわら小説を執筆し、二〇一八年に『イヴリン嬢は七回殺される』でデビュー。コスタ賞最優秀新人賞受賞、ゴールド・ダガー賞候補などで話題をさらい、翌一九年に邦訳された(文藝春秋、三角和代訳)。

 とある館で目覚めた主人公が同じ一日を何度も繰り返し、殺人事件を解決しようとする。いわゆる「ループもの」に属するこのSFミステリは、「ループのたびに別人に憑依(ひょうい)して目覚める」「全ループで世界線が共通しておりイベントが同時進行する」という二点において複雑さが傑出しており、作者自身も称したように「完全にどうかしている作品」で、特殊設定に慣れきった日本の読者もド肝を抜かれることとなった。

 しかし野心作ゆえの副作用か、『イヴリン嬢~』にはいささか人工的すぎるきらいもあった。仮想刑務所においてゲームマスターから課された試練をクリアし脱出、というだけの筋立てであり、主人公の背景や刑務所の全貌解明は最小限。そうした“潔さ”が読み手を選ぶ面は否めなかった。となると、気になるのは次回作だ。本当に実力のある作家なのか? どんな設定を出してくるのか?

 かくして、二〇二〇年に放たれたのが本作である(邦訳は二二年)。クセの強い大型新人の二作目は、堂々たる海洋冒険ミステリであった。閉ざされた館から大海原へ、タートンは見事に作風を広げたといえる。

 開いたページから香るのは十七世紀バタヴィアの潮風。突如捕らわれた名探偵、降臨を予言された悪魔〈トム翁〉、世界を一変させる積荷〈愚物〉――乗客と船員とはちきれんばかりの計略を乗せ、帆船ザーンダム号が出航する。悪魔の()す奇跡が船を襲い、手がかりの数々が嵐となって読者を打つ。最後まで甲板に立っていられるかどうかはあなた次第だ。

 

 本作はフィクションだが、実際に起きた“世界最悪の難破事件”バタヴィア号事件をモチーフにしているという。ヤン・ハーン総督のモデルはバタヴィアを築いたヤン・ピーテルスゾーン・クーンだろうか。また物語の背後には、近世ヨーロッパの負の歴史が濃い影を落としている。

 ひとつは植民地政策だ。アジアとの航路が開拓されたこの時代、イギリスやオランダは「東インド会社」という特権的企業をこぞって設立。香辛料貿易で莫大な利益をあげた(「東インド」は東アジア全域を指す)。国家が東インド会社に与えた特権には貿易独占だけでなく戦争遂行や条約締結まで含まれており、植民地拡大を兼ねた貿易開拓はアジアへの“侵略”そのものであった。

 中でも過激だったのがオランダ東インド会社だ。ジャカルタからイギリス人を追い出し「バタヴィア」と改名。アンボイナ島でも英国商館員を皆殺しにする「アンボイナ事件」を起こす。バンダ諸島では島民を大虐殺し、捕らえた島民も奴隷としてバタヴィアに送った。武力によって東南アジアの港を牛耳り、マカオや台湾も襲撃した。オランダ人たちはある登場人物の言うとおり「誇りとすることのできないものと引き換えに褒美を受け取った」のである。

 もうひとつは、魔女狩りだ。「中世の」とよくいわれるがこれは誤解で、実際は十六~十七世紀に流行した。こちらで中心となったのは国家よりも民衆だった。疫病や災害といった社会不安に襲われるたび、彼らは“原因”を身近な社会的弱者に求め、魔術を用いたとしてつるしあげた。ヨーロッパ全土で処刑された人数は五万人前後、八割近くが女性であったという。シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』(以文社)では、魔女狩りは女性を飼いならし従順な家事労働者として囲い込むための抑圧システムであった、という分析がなされている。

 タートンは魔女狩りのこうした側面を意識的に捉え、作中にも“抑圧の檻”でもがく女性たちを登場させる。現状を破りたい治療師サラ、無邪気に発明を追求するリア、奔放で機転がきくクレーシェ。三者三様の生き方を通じて、現代に根深く残るジェンダー問題とのリンクが描かれる。

 檻、といえば。ザーンダム号にはもう一人、とっておきの囚人が乗っている。

 謎解き人、サミー・ピップスだ。

 

 サミー・ピップスは小柄なオランダ人。気取り屋の紳士で、科学の知識とたぐいまれなる推理力を持ち、謎解き以外には興味がない。シャーロック・ホームズの流れを汲む天才型のキャラクターである(四十章のロザリオにまつわる推理などは垂涎(すいぜん)ものだ)。が、この名探偵が理由もわからぬまま捕縛されるという倒錯した出来事から物語は始まる。サミーはフォアマスト下の狭い牢獄に押し込まれ、自由に出歩くこともかなわず、垢にまみれて尊厳を剥がし尽くされる。

 サミーの相棒役にして、本作の実質的な主人公となる男がアレント・ヘイズ。筋骨隆々、俳優でいえばドゥエイン・ジョンソンのような偉丈夫だ。用心棒としてサミーに雇われ、行動をともにし、彼の活躍を「報告書」として発表している。文字どおりの「ワトソン役」が、不自由なサミーにかわり船内を捜査することになる。

 この設定から、米澤穂信の直木賞受賞作『黒牢城』(角川文庫)を連想する方も多いだろう。安楽椅子探偵の派生の一種とはいえ、東西におけるこのシンクロは面白い(しかも両作の時代設定には六十年ほどの隔たりしかない)。四百年前の「囚われの探偵」たちが反映するのは、現代のポピュリズムかもしれない。大衆の知識人嫌悪は年々強まり、アカデミアの予算削減も著しく、智者たちが発信力・行動力を奪われつつある昨今である。鉄格子越しでないと知性にアクセスできないような未来はごめんこうむりたいものだが。

 話をアレントに戻そう。彼の長所は強靭な肉体と鋼の精神だ。荒くれ船員どもとの交渉においてはこの武器が大いにものをいう。メインマストよりも前は船乗りの領域、後ろは乗客の領域――船内の不文律の“境界”にフォーカスしたことは本作の独創的な点のひとつで、怪奇とは別種のスパイスを物語に加えている。

 アレントには弱点もある。かつて単独で事件に挑み、失敗した経験があるのだ。そのトラウマが常にちらつき、自分とサミーを比べてしまう。サミーならどうするか。サミーさえここにいれば。なぜおれはサミーみたいにできないのか……。信頼、崇拝、憧憬(しょうけい)、嫉妬、アレントが相棒へ向ける感情は複雑で、「持たざる者」の悲哀が彼の造形に深みを与えている。この物語はそんなワトソン役の成長譚でもある。サラの協力を得ながら不器用に捜査を進めるアレントの姿が、ページをめくる追い風となる。

 最終章において、アレントとサラはついに事件を解決する。

 そして彼らは知ることになる。大抵の事件において、「真実」は手ひどい裏切りを伴うということを。

 

※以下、真相にふれます

 

 最終章を読み終えた読者は、悪魔的作家のしたたかさに唸ることとなるだろう。なんという大胆な構図とミスディレクションの手数。解決編で初めて明かされる情報もあり、理詰めによる看破は困難だが、読み返せば随所でヒントを拾うことができる(四十一章クレーシェ視点の描写、四十四章リアの台詞「ピップスの物語のなかにいるみたい」、四十七章嵐の中でレーワルデン号の無事を確認したがる船長、等々)。

『イヴリン嬢~』と同じく複雑さに酔いしれるのも一興だが、帆船が一本の竜骨から成るように、この物語にも一本の軸がある。ここでは引き続き、サミーとアレントに注目したい。

「なぜあの牢屋に入ったんだ?」とアレントに問われたサミーは、「この件の調査が僕に依頼されたらまずいから」と答える。しかし謎を解けるのは彼だけなのだから、依頼されても失態を演じればよかったはずだ。すると補足が入る。「なんとなれば、きみがたちどころにして我が手落ちを看破してしまうであろうこと必定だったがゆえに」。サミーが捜査にモタつけばアレントに気づかれる、だから捜査できない口実として牢屋に入った、というのである。アレントを騙すために。

 この選択は合理的だろうか? そもそも、アレントを船に乗せない方法だってあったはずだ。そうすればサミーは堂々と失態を演じられるし、単独行動の時間も増える。部屋にこもりたい場合は仮病でも使えば充分だろう。「悪臭漂う穴倉」で三週間も囚人を演じる必要性は、本来はまったくなかったはずだ。

 客観的に見れば、アレントの存在は邪魔でしかない。サミーの行動を制限し、サミーの計画に気づきかねない唯一の男。兄妹の人生をかけた復讐劇は、アレント・ヘイズという闖入者(ちんにゅうしゃ)によって破綻しかねない状況であった。

 それでも名探偵は、相棒とともにいることを選んだ。

 ここにもサミーとアレントのいびつな絆が垣間見える。冷酷な悪魔も、友情だけは手放すことができなかった。その非合理とも取れる選択によって、いっそう事件が複雑になった。アレントも裏切りを受けてなお、サミーと手を取り直す道を選ぶ。そういえば投獄の真意を語る前、サミーはまず「そうしたかったからだ」と答える。三週間の穴倉は裏切りに対するサミーなりの贖罪だったのかもしれない。あるいはアレントに謎を解いてもらい、自らを糾弾してほしかったのか……。根底に流れる“情”の構図は、数学的に組み上げられた一作目との対比としても興味深い。スチュアート・タートンは理性と情念、両面を描ける作家なのだ。それもとびきり入り組んだ、ややこしい理性と情念を。

 

 本作はイギリス書店協会主催のブックス・アー・マイ・バッグ読者賞に輝いたほか、イアン・フレミング・スチール・ダガー賞、ゴールド・クラウン賞にノミネートされ、複数のブックス・オブ・ザ・イヤーにも選出された。客観的にもタートンは実力を証明してみせたといえる。

 三作目も邦訳が決定していて、タイトルは『世界の終わりの最後の殺人』(文藝春秋近刊)。謎の霧によって世界が滅亡した近未来、人類唯一の安全地帯である〈孤島〉で殺人が起きるが、島民たちはセキュリティシステムによって前夜の記憶を消されており……という筋書きらしい。メフィスト系を彷彿とさせる、なんとも日本の読者好みの設定! 次なる悪魔に魅入られる日が、待ち遠しくてたまらない。

文春文庫
名探偵と海の悪魔
スチュアート・タートン 三角和代

定価:1,760円(税込)発売日:2025年03月05日

電子書籍
名探偵と海の悪魔
スチュアート・タートン 三角和代

発売日:2025年03月05日

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