
直木賞作家・朝井リョウさんによるエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。
『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』から構成される本シリーズは「頭を空っぽにして読めるエッセイ」として話題を呼び、累計30万部を突破しています。

『そして誰もゆとらなくなった』文庫版の発売を記念して、朝井さんが「読み始めに最適な一本」を各巻からそれぞれセレクトして公開します。
第2弾『風と共にゆとりぬ』からは、「初めてのホームステイ」が選ばれました。朝井さんがウェブ用に加筆修正した「ウェブ転載版」の前編です。以下、朝井さんのコメントです。
「Web公開に不適切だと判断した箇所はカットしております。昔の文章を読み返す作業、本当に怖いです。」
◆◆◆
カナダに派遣される中学生
私の地元の垂井町は、1996年、カナダにあるカルガリー市と姉妹都市となった。それ以来異文化交流も盛んに行われるようになったというが、一体カルガリー市はどんなメリットを感じ取って我がふるさと・垂井町と姉妹になる運命を選択したのだろうか。Wikipediaによるとカルガリー市とは「カナダ西部のアルバータ州にある都市である。同州最大の都市かつ同国有数の世界都市」だという。世界都市のカルガリーと、狭い盆地の垂井町。なんだか、コンビ間格差を売りにした「姉妹都市」という名前の漫才師みたいだ。たとえ腹違いの姉妹だといわれたところで納得がいかない。
そんな謎に満ちた姉・カルガリー市に、妹である垂井町から、毎年中学生が派遣される。垂井町に二つある中学校から計十数名が派遣メンバーとして選抜されるのだが、当時中学二年生、もちろん海外になんて行ったことのない朝井少年はボンヤリと「自分もカルガリーに行きたいなりー」なんてクソつまらない韻の踏み方をしていた。中学二年生の冬、そのメンバーを選抜する試験があるというので、私は、同じくボンヤリと海外渡航への憧れを抱く友人たちと連れ立って受験してみることにした。そして、金色のポニーテールをブンブンと振り回す姿が恐れられていたALT(外国人教師)による英語の面接を受けた結果、なぜか試験に合格してしまった私は、中学二年生の3月、約2週間もの間カナダのカルガリー市に赴くことになったのである。どこかへ派遣=小野妹子という謎の早合点をした私は、同じくメンバーに選ばれた同級生たちを見て頭の中で(姉妹都市に行く妹子軍団……)と女偏に塗れた思考を繰り広げていた。
翻訳サイトを駆使してメールをした結果
しかし、初めての海外。しかも知らない外国の家庭へのホームステイ。試験合格を知らされた瞬間、妹子たちの緊張と恐怖は即ピークに達した。
ただ、学校側も、妹子たちの不安はお見通しだったのだろう。渡航前の数週間は、学校側が決めてくれたホームステイ先とメールでやりとりができるようになっていた。お互いに自己紹介をしたり、向こうの家族構成を聞いたり好きな食べ物を尋ねられたり、ハートフルなやりとりに妹子たちの緊張した心は少しずつほぐされていった。

だが、もちろん中学二年生の英語力ではそのメールのほとんどを読解することができない。先生たちからはできるだけ辞書などを利用し自力で読むようにと言われていたが、デジタルネイティブ世代に生まれたネオ・妹子たちは即翻訳サイトという神器の使用を解禁した。私も例に漏れず、初めて届いたメールの本文をまるごとコピー&ペーストした。
ドキドキは最高潮に達していた。数か月後には家族のように生活することになる、カナダ在住のウィリアムズ家からの初めてのメールなのだ。
英語→日本語。変換される道筋を確認し、胸の高鳴りを抑えるようにエンターキーを押す。
【おい Ryo】
私は「ヒイ」と奇声を上げながら椅子から転げ落ちた。今から十数年前、翻訳サイトの精度は抜群に粗かったのだ。Hiが【おい】と訳された文章は、初めてのメールの割にはやけに好戦的で、14歳だった私は「これが北アメリカ大陸……」とビクビク怯えた。
私がステイすることになるウィリアムズ家は三人きょうだいだった。まず、私と同い年である、14歳の男の子のジャック。ステイ中は一緒に学校に通うこともあるため、ジャックと私はほとんどの行動をともにすることになる。その下には、年の離れた妹と弟。妹と弟はまだ小学校に入る前とかで、ジャックもかなりかわいがっているようだ。
ジャックは活発な少年であるらしく、バスケやサッカーなどいろんなスポーツが好きみたいだ。思いっきり他力で翻訳された文章を読みつないでいくと、最後のほうに、こんな文章が現れた。
【だけど今一番好きなのは、氷のインチキです。なので、こちらに来たときはぜひ一緒に氷のインチキを楽しみましょう!】
文末にエクスクラメーションマークが付くくらい陽気な文章であったが、何か薄ら怖いことに誘われていることはよくわかった。氷のインチキって何だろう。果たしてそれは異国から来た少年と無邪気に興じる類のものなのだろうか。私は散々頭を悩ませたのだが、やがてそれは、カナダの国技でもあるアイスホッケーのスペル、【ice hockey】からcが抜け落ちたことによる【ice hokey】の直訳だということが発覚した。こんな形で、すぐにメールの文面をコピペするのではなく一度自分で訳してみるべきだという先生の教えが身に染みたのである。【ice hokey】という字面を目で見てさえいれば、見知らぬ外国人と身も凍るような騙し合いをする羽目になるのか、と怯えていた無駄な時間を省けただろう。
「ともに、作ろう、鶴を」
私はウィリアムズ家のために、日本からのお土産として色んなものをトランクに突っ込んでいた。彼らホームステイを受け入れるだけあって異国の文化に興味があるらしく、私が持っていった日本的なあらゆるものにも大変興味を示してくださった。中でもジャックやその弟や妹が食いついたのは折り紙だった。
『これ知ってる! いろんな形のものを作れるんでしょう?!』(今後、二重カッコのセリフは英語として読んでいただきたい)
特に食いついたのは妹で、色とりどりの折り紙を楽しそうにぱらぱらと手に取った。ただの正方形の紙から鶴とか花とかそういうものを作ってしまう日本人の器用さは、外国人に対してウケがいい――事前にそんな情報を仕入れていたのだが、まさにドンピシャリだった。
『ともに、作ろう、鶴を』
私は持参していた電子書籍で鶴を検索しつつ、妹にそう伝えた。彼女は喜び、喜ぶ彼女を見守るウィリアムズ家もニコニコ笑顔だ。
鶴の折り方は覚えていったほうがいい――これも、日本を発つ前に仕入れた情報だった。私はそれまで、偶然にも「折り紙で鶴を折る」という経験をしておらず、このお土産を喜んでもらうために急きょ折り方を記憶した。その努力がまさに実る瞬間が訪れたのだ。
こうして、こうして、こうして、と、私がするとおりに、妹さんが紙を折っていく。ただの正方形が鶴になるなんてアメイジング! という期待感がリビングに満ちる。
しかし、私は、かなり序盤の段階で、顔を引きつらせていた。
折り方を忘れたのである。
出発前あれだけ練習したのに、いざ正方形の紙を目の前にすると一体どうやってこの紙から鶴が誕生するのか見当もつかない。急ごしらえの記憶は、ここ数日間で出会った様々な初体験によって脳から追い出されていたのだ。いくら折っても鶴らしき輪郭が見えてこない。いよいよ妹さんも不信感を露わにし始めたところで、私ははたと手の動きを止め、言った。
『忘れた。終わり』
突然の幕引きだった。でも、申し訳なさやふがいなさを伝えるだけの英語力を持ち合わせていないのだ。Wow……という空気の中、テーブルには鶴にも何にもなり切れなかった化け物が二つ転がっている。これが初日の夜の記憶である。
(後編に続く)
時をかけるゆとり
発売日:2015年01月30日
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