
- 2025.07.16
- 特集
【エッセイ全文公開】「作家になりたい」14歳の朝井リョウさんがホームステイ先で夢を打ち明けた結果
朝井 リョウ
『風と共にゆとりぬ』より、朝井リョウさんが選んだエッセイを1本全文公開!〈後編〉
〈朝井リョウ(14)が地元の姉妹都市・カルガリー市に“派遣”されたときのこと〉から続く
直木賞作家・朝井リョウさんによるエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。
『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』から構成される本シリーズは「頭を空っぽにして読めるエッセイ」として話題を呼び、累計30万部を突破しています。

『そして誰もゆとらなくなった』文庫版の発売を記念して、朝井さんが「読み始めに最適な一本」を各巻からそれぞれセレクトして公開します。
第2弾『風と共にゆとりぬ』からは、「初めてのホームステイ」が選ばれました。朝井さんがウェブ用に加筆修正した「ウェブ転載版」の後編です。以下、朝井さんのコメントです。
「Web公開に不適切だと判断した箇所はカットしております。昔の文章を読み返す作業、本当に怖いです。」
◆◆◆
和気あいあいとしたホームパーティーへ
そんなウィリアムズ家は、最後の日が近づいてきたある日、親戚中が集まるらしきホームパーティに私を連れて行ってくれた。『楽しい人がいっぱいだし、おいしい料理もたくさんよ!』だかなんだか、魔法のような誘い文句は大変甘美に響いた。
着いた家はウィリアムズ家のそれと負けず劣らずの豪邸で、中にはすでにたくさんの人がいた。ジャックは『おじさんのポールだよ』『おじいちゃんのデヴィット、おばあちゃんのセリーヌ』『いとこのブライアンとジム』というように次々と私に紹介してくれたが案の定全く覚えられず、私は『リョウです、リョウでーす』とバカの一つ覚えみたいに繰り返していた。
やがて私がウィリアムズ家にホームステイをしているという情報がホームパーティの参加者中に知れ渡り、いつしか私は話題の中心に祭り上げられていた。それはありがたいことなのだが、パーティということでみんなテンションが上がっており、かなり早口になっている。私は周囲の人々の発言をどうにか聞き取ることで精いっぱいの状態だった。
そんなとき、ポールだがデヴィットだかが大きな書物を持って私のほうに近づいてきた。ポールだがデヴィットだがはその書物をぱらぱらめくりながら、私に訊いた。
『リョウはどこから来たの?!』
それはさすがに聞き取ることができた。えーっと、日本から来てるってことは知ってるはずだからどうやって答えようかなと返事を思案する私の目の前に、ポールだかデヴィットだかが手にしていた書物をバンと広げる。
それが世界地図だと認識したのと、私が『タルイタウン』という誤答を引き当ててしまったのは、ほぼ同時だった。
『タルイタウン?』
『この地図で言うとどこ?』
私がタルイタウンから来たという情報は瞬く間に広がっていく。やばい。私は小指の爪で世界地図の一角を指しながら、『ここ、ここ』と必死に人口三万人以下のタルイタウンを世界都市カルガリーの人たちに向けて示した。
『トウキョウに近いんだね』
『すごいね!』
タルイタウンに関する間違った情報がどんどん広がっていく。『ノーノー、ここ、ここ』私はどうにかして世界地図をベースにタルイタウンの正確な位置を伝えようとしたが、その試みは失敗に終わった。諦めた私は、東京都民には無許可で、トウキョウの近くにあるタルイタウンから来た、ということで手を打つことにした。
「何かピアノ弾いてよ!」と頼まれて……
『あ、リョウ!』げんなりしている私に、ジャックが目を輝かせる。『そういえば、この家にはピアノがあるんだよ!』
私は中学生になるまでピアノを習っており、その情報は会話の種としてウィリアムズ家に提供していた。ウィリアムズ家にはピアノがなく、みんな『リョウのピアノ聞きたかったよ』と残念がってくれていたのだ。
『なに、リョウはピアノが弾けるの!?』
『いいね、何か弾いてもらおう!』
ブライアンだかジムだかが、私をピアノがある場所まで導いてくれる。実は、当時の私はピアノの腕にはそこそこ自信があった。ここで取り返そう、という思いで、導かれるままに私は歩いた。
連れていかれた部屋には、ご立派なピアノがでんと鎮座していた。『さあリョウ、何でもいいから弾いてよ!』親戚中に私をもっと紹介したいのか、ジャックの目はきらきら輝いている。
いざ椅子に座り、期待に満ちた目に囲まれたとき、私ははたと我に返った。今ここで弾けるような、楽譜なしで弾ける曲って何だろう。さらにこの空気感からすると、一節だけでなく、それなりの長さを弾き切ることを望まれている――私は焦った。今思えば、「エリーゼのために」でも「トルコ行進曲」でも、とにかく世界的に有名な曲ならば何でもよかったはずだ。だが、楽譜なしで割と長めに弾ける曲、楽譜なしで割と長めに弾ける曲、と混乱状態に陥った私は、当時もっとも弾き慣れていた曲を弾き始めてしまった。
垂井町立不破中学校の校歌である。
死にたい――弾き始めてすぐ、私はそう思った。ホームパーティを楽しんでいた場が、突然、全校集会が行われる体育館のように見えてくる。先ほどタルイタウン・イン・世界地図という失敗を犯したというのに、その小さなタルイタウンの中にある小さな中学校の校歌を披露するなんて私は何を考えていたのだろうか。しかも、伴奏だ。和音を繰り返すばかりで、特にメロディラインがあるわけではない。
いつサビが来るのかな? いつ私たちの知っているメロディが来るのかな? みたいな顔をしていた一同は、『終わり』弾き終わった私に混乱の拍手を浴びせた。ブライアンだかジムだかが『うまいね!』みたいに言ってくれたが、私はこの異国の豪邸に垂井町立不破中学校の校歌が流れたという歪んだ事実に薄ら笑いを浮かべてしまっていた。
「将来、ボクは作家になりたいんだ」周囲の反応は
なんだか、色々とうまくいかない。そんな気分でいたら、ジャックの姪だか甥だかいとこだかが、私に話しかけてきた。
『リョウ、夢はなんなの?』
突然のハートフルな展開を許していただきたい。向こうからすれば、十四歳という若さでホームステイをしにくるこのタルイ人にはさぞ大きな夢があるのだろう、とでも思ったかもしれない。私は姿勢を正すと、姪だか甥だかいとこだかの目をまっすぐに見て、言った。
『writer……将来、ボクは作家になりたいんだよ』

今思うと、美しいやりとりである。カナダの素敵なお家、初めて出会った陽気な人たち、そこで明かす将来の夢――まるで絵本の中にいるみたいだな、と思ったとき、姪だか甥だかいとこだかがぱっと表情を明るくして、言った。
『rider!? かっこいい! リョウは車を運転するんだね!』
姪だか甥だかいとこだか、ブンブンと言いながらハンドルをくるくる操る真似をし始める。おや? と思ったときにはもう遅かった。ジャックが『えっリョウはriderになるのが夢なの!? かっこいい夢だけど意外だね!』だかなんだか、目を丸くしている。その周りを、バイクを乗る真似をしている姪だか甥だかいとこだかが駆けずり回っている。
違う、とは、もう言えなかった。
私はその日、ライダーを夢見る少年という像を演じ続ける羽目となった。今こうしてライターとなり、あのころの日々を振り返りお金を稼いでいると知ったら、ウィリアムズ家の皆様はどう思うだろうか。オールオッケ~とまた笑ってくれればいいが、それを確認する術はもう持ち合わせていない。
◆ ◆ ◆
朝井さんの海外での珍エピソードは、『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』でも綴られています。
明日は『そして誰もゆとらなくなった』よりエッセイを一本公開します。お楽しみに。
時をかけるゆとり
発売日:2015年01月30日
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