私は不幸な西洋人である。「自由民主主義」、すなわち“自らの運命の主人”としての「個人」という理想に私は愛着を抱いている。だが日を追うごとに、私が生まれ育った価値観、私という人間をつくり上げた価値観が崩壊していくのを目の当たりにしている。

 私はパリとケンブリッジで研究者としての教育を受けた。戦時中、米国に亡命していた母〔ユダヤ系〕からは、この偉大な米国への感謝の念を引き継いだ。この世界を構成する「社会の多様性」という私のヴィジョンは、英国の社会人類学と米国の文化人類学に由来する。こうした「世界の多様性」を超越する「普遍的人間(同じ人間)」という私のヴィジョンについては、自国のフランス文化から受け継いだものである。

 私自身の世界である「西洋の民主主義」を共につくり出した英国、米国、フランスの三極が、いま崩壊しつつあるのだ。

 この三極は、まず経済的に崩壊している。国内の生産基盤が国外の「その他の世界」に流出し、産業の空洞化が起きたからだ。今日、エンジニアが育成され、工作機械が製造され、我々の現代的生活に不可欠な財が生産されているのは、「その他の世界」においてである。

 英米仏という三極の崩壊は、価値観の面でとくに著しい。西洋の「労働倫理」は言うまでもなく、より一般的に、「自由」、「知性」、「批判的思考」、理解と前進を可能にする「人間の理性」といった理想や価値観が消滅しつつある。

「進歩」という理想が崩壊している。私が生き、私が属する西洋世界は、ニヒリスト的な歴史観に陥り、戦争自体が目的となってしまった。しかもその戦争は、愚かにも勝利を可能にする兵器生産力を欠いたまま遂行される戦争、戦争のための戦争、自殺行為に等しい戦争と化しているのだ。

怠惰の帝国

 西洋の民主主義は消滅した。西洋の「労働者階級」は、国外で生産された財で生活するアトム化した個人の単なる寄せ集めでしかない〔古代ローマの〕「平民」に取って代わられた。技術者やエンジニアは、金融家や弁護士に取って代わられた。知識人は、金で雇われたイデオローグに取って代わられ、自らの意見を自由に表明することは困難になった。形式的な自由は残っているが、テレビやジャーナリズムのネットワークは、「国家と金融グループの共生連合」に支配されている。政権交代は起きても、ほとんどの場合、意味をなさない。たとえ政権が「産業空洞化」と「戦争」という死に至る道からの脱出を試みているように見えても、それは幻想でしかない。トランプと彼の政権チームのことだ。ウクライナ戦争を数週間で終わらせる? むしろこの新大統領は、戦争を拡大する方向に導いていることに我々はすぐに気づいた。

 トランプは、ウクライナ戦争から容易には抜け出せない。この戦争が米国にとって死活問題となっているからだ。ここで面子を失えば、「世界の労働に依存する米国の生存」を可能にしている基軸通貨ドルの最終的な消滅につながるだろう。

 トランプは、米国産業の残滓を守り、欧州、日本、韓国、台湾からの投資を引きつけるために関税障壁を高めることはできるかもしれない。だが彼には、米国のより大量で高品質の生産を可能にする勤勉で熟練した労働者がいない。とりわけ彼は、米国産業の真の競争相手は、ドイツ、イタリア、日本、韓国の工業生産ではなく、米国自身によるドルの生産であること、ドルこそが労働なしの購入、労働なしの消費を可能にしていることを理解しようとしない。トランプは、国際取引でドルの使用をやめようとする国々を関税で脅している。米国の真のスローガンは「生産せずに消費する」なのかもしれない。それも、常に、あらゆる分野で「生産せずに消費する」なのだ。

 こうしてトランプは、減税の一方で新たな軍事支出を行なうことで米国の財政赤字を悪化させている。この財政赤字は、最終的に、そして不可避的に米国の貿易赤字のさらなる悪化をもたらすだろう。地下水脈のような謎めいた無数の経路によって、製品は国内で生産するのではなく、「国内」の財政赤字から生み出されたドルで国外から購入することが可能だからだ。

 アメリカ帝国は「怠惰の帝国」と化した。米国は、帝国の立場に固執し、「世界からの搾取システム」を死守しようとしている。この姿勢が「終わりのない戦争」へと帰結する。「怠惰」と「戦争」、「戦争」と「怠惰」は弁証法的関係にある。


<日本の読者へ――日本と「西洋」>より