エマニュエル・トッドはなぜ世界の行方が見通せるのか? その秘密が分かる一冊
思想の地下水脈
思想には地下水脈があるように思えてならない。まったく別の文化圏で、別の専門分野を研究していても、地面を掘り下げていくうちに共通の地下水脈に至ることがある。このような地下水脈に至る力がある本を古典と呼ぶ。トッド氏は、現存の知識人であるが、その著作は時代をとらえるために不可欠な古典になっているのである。
現代の古典作家として、エマニュエル・トッド氏と共に私の頭に浮かぶのが柄谷行人氏だ。二人の間に直接的接点はないと思う。しかし、トッド氏の『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋、二〇二二年)と柄谷氏の『力と交換様式』(岩波書店、二〇二二年)を読み比べると、二人の時代認識が驚くほど似ていることに気付く。
まず指摘されるのが、われわれが世界戦争直前の状況に立たされているという危機意識だ。次にこの危機意識が宗教と切り離せないということだ。もっともトッド氏は、「ゾンビ・カトリシズム」「ゾンビ・プロテスタンティズム」「ゾンビ・儒教」のような表現からもわかるように宗教は死につつあるが死に果てていないという認識だ。対して柄谷氏は、交換様式Dという形態で霊という形をとって宗教は生きており、その生命力を強化することが民族・国家・資本のくびきからわれわれが抜け出す上で決定的な重要性を持つと考えている。
本書の目的は、トッド氏のテキストを題材にして、読者に地下水脈に辿り着く道案内をすることだ。率直に言って、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』を読破するのは難しい。一般論として難しい本には二つの類型がある。第一類型は、内容がでたらめなので理解不能な本だ。一九六〇年代の新左翼の機関紙誌に掲載されていた論文のほとんどがそうだ。最近では独創的と評価される思想書に(特に宗教やスピリチャル絡みの内容のものに)ひどいものが多い。先行思想や神学の標準的言説を調べもせずに思いつきで書いている。確かに型破りな作品は重要だ。しかし、その前提となっているのは型を知っているということだ。型を知らずに型破りを装っても、それはただのでたらめに過ぎない。この種の難しい本は読むだけ時間の無駄だ。
第二の類型は、積み重ね方式になっている本だ。偏微分方程式を多用している金融工学の本を読む際に、高校レベルの微積分の知識が怪しいと正確に読み解くことはできない。ウクライナのナショナリズムについて語る場合には、ガリツィア地方(ウクライナ西部)に拠点を持つユニエイト教会(儀式は正教と酷似しているが、ローマ教皇の管轄下にある東方典礼カトリック教会の一つ)についての知識が不可欠だ。トッド氏の『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』は、まさに先行思想のさまざまな型を踏まえた上で、型破りの作品になっている。だからトッド氏の思考はどのような先行思考の型を踏まえているか、特にそれが日本との文脈で持つ意味について道案内する書籍が必要と私は考えた。この構想を慶應義塾大学法学部の片山杜秀教授に話すと賛同してくださり、この本ができることとなった。片山氏の専門領域は日本思想だが、西欧思想だけでなくロシア思想にも造詣が深い。片山氏も自己の足場を掘り下げ地下水脈に至ることができる優れた知識人だ。この仕事を片山氏と一緒に出来て、とても嬉しく思っている。
そもそも太平洋戦争前に新書というジャンルが生まれたときは、それ自体で完結した本ではなく、学術一般書や学術書を読破するための階段としての役割を果たしていた。その意味でトッド氏の主著につなげるような本書のスタイルは新書の原点回帰と言えるかもしれない。
二〇二三年二月一五日、入院中の都内某大学病院の病室にて
佐藤優
「はじめに──思想の地下水脈」より
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