
約半世紀にわたって日本の美容業界を見つめてきた美容ジャーナリストの齋藤薫さん。化粧品の魅力だけでなく、女性たちの美意識や価値観をも拓く鮮やかな文章で、熱く支持されている伝説の人です。
その齋藤さんが更年期真っ只中で「一番不幸」を感じたというのが49歳。そしてメノポーズ(閉経)を経た50代、60代は「何この心地よさ?」だったそう。ではその先は……? ご自身の経験に基づく“後半人生”をより豊かに生きるヒントを、新刊『年齢革命 閉経からが人生だ!』より紹介します。
友だちは、後半人生の財産か?
私は、たぶん友だちが少ない。数え切れない数の友だちと、しょっちゅうご飯を食べている人は世の中少なくないわけで、特に今の時代はSNS上の友だちが数百人いる人はザラ。
もちろん何をもって友だちと呼ぶのか? もはやそこからして曖昧な時代になってはいるのだけれども、自分はSNSを一切やっていないこともあり、だから友だちはかなり少ない方であると思う。
そもそも私は50代の時に、親友と呼べる人を2人、病気で亡くしている。なぜ自分から大切な人を奪っていくのか? なぜ彼女なのか? なぜこの人まで? 未だどうしても納得がいかない。
少なくとも自分の未来は、親友たちと共にあると考えていたから。魂が通い合った人たちと、会話しながら死にたいと思うほど、自分にとって友だちは、非常に大切な、生きる糧だからである。
つまり自分の後半人生、“老後”というものがあるなら、まさにその時間はできる限り友だちとの語らいに費やしたい、とじつは若い頃からそう思っていた。そこに、人生における特別な意味と意義を感じるからなのだ。

そう、だから友だちはいつも絶対に“一生もの”でなければならないと考えていた。老後に至るまでずっと付き合ってもらわなければならないから、友だち作りには慎重になった。
アッという間に仲良くなって、アッという間に旅行などに行っちゃって、でもお互いのことをよく知らないからすぐズレを感じ、違和感を感じて、アッという間に会わなくなる……そういう衝動的な付き合いは絶対にしたくないと考えていたから、新しい友だちは簡単にはできなかったのだ。
「恋人」と「友だち」の定義の違い
それも、10代の頃のあるトラウマが関係していた。何をするにでも一緒だった数人の仲良しグループが、ちょっとした出来事をきっかけに、完全に崩壊したことがある。非常に傷つき、心が折れた。子ども心に親友を失うことの強い喪失感に襲われ、大げさではなく人生における取り返しのつかない損失をしたような気になった。
もうこういう思いは嫌だと思ったからこそ、友だちと関係が終わってしまう事態をどうしても避けたい、そう思うようになったのだ。
恋人という存在は、くっついたり離れたり、別れも一つの宿命だけれど、友だちとは別れないもの……自分の中でそう定義付けるようになっていた。
藤原美智子さんと交わした「今はこれでいいよね」
一生ものとは、一生別れない、一生疎遠にならないということである。だから、途中で疎遠になりそうな人とは最初から付き合うべきではないと考えた。でも逆に、その分選り抜き。一人一人、本当に信頼できる人。

その信頼関係を物語るのが、今回対談をさせていただいた藤原美智子さんと、かつてこんな会話をしたこと。
「今はお互い忙しいからあんまり会わないけど、いつかもっと時間ができた時に、いっぱい会うことがわかっているから、今はこれでいいよね」
そんなことを言い合った記憶がある。

思えば、他の友だちとも、まさにそういう付き合い方をしてきた。お互い忙しい時はごくたまに、1年に1回ということもあったけれど、いつか時間ができたらもっともっと会うということがわかっていたから、今はそれでいいと思った。もっと会いたいけれど楽しみは後に残しておこうと思えるような関係を紡いできたのだ。
そして今、いよいよそういう時期を迎えつつあることを感じている。学生時代の友だちとも、最近はまたよく会うようになっている。なんだか昔に戻ったみたい、そう言いながら。まさに予定通り。それが一生ものの付き合い方なのだ。
閉経が一つの節目となり、変化した価値観
今振り返れば、友だちこそが人生の財産だと気づいたのは、まさに閉経を迎えた頃た。 それは良くも悪くも、閉経が一つの節目となって価値観が変わったことを示している。
49歳で、大きな不幸感を感じた時、いろんな不安が渦巻くとともに、先が見えてきたという感慨もあった。一方でいろんな欲もおさまってきて、これからの人生で一番大切なものはなんだろうと考えた時、それは紛れもなく人であり、友であるという答えが見えてきた。

なぜなら極端な話、仮にこれからいくら財産を増やしたとしても、一体どうやって使うのか? 時間がたっぷりできたとしても、一体どうやって過ごすのか? お金も時間も友だちがいなかったら、怖いくらい虚しいものとなり、終わりのない孤独を感じるのだろうから。
そこに夫がいようといまいと、それは別の話。友人とでないと、性別を問わない友だちでないと、成立しないおしゃべりはあって、それがこれからの人生の彩りになると感じてきたからなのだ。
人間だけに許された会話の喜び、それこそが人生
その時、これまでの体験の全て、これまで得てきた知識の全てを使って尽きない会話をし続ける、それも含めて人生最大の財産なのではないかと思ったのだ。
それこそが、人生に奥行きと深い味わいをもたらしてくれる最良の時間なのだという確信を持っているからこそ、その時に向けて今まで経験と知識を積みあげてきたのだと言ってもいい。
人間だけに許された会話の喜び、それこそが人生。そうした一生の財産を、生涯大切にしていきたいと今改めて強く思っている。
齋藤 薫(さいとう・かおる)
女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストに。女性誌において多数のエッセイ連載を持つほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『“一生美人”力』(朝日新聞出版)、『なぜ、A型がいちばん美人なのか?』(マガジンハウス)など、著書多数。近著に『年齢革命 閉経からが人生だ!』(文藝春秋)がある。