1972年の吉永小百合さん。翌1973年、28歳のときに15歳年上のプロデューサー、岡田太郎氏と結婚。2024年9月に岡田氏が亡くなるまで半世紀上、連れ添った。©文藝春秋

 約半世紀にわたって日本の美容業界を見つめてきた美容ジャーナリストの齋藤薫さん。化粧品の魅力だけでなく、女性たちの美意識や価値観をも拓く鮮やかな文章で、熱く支持されている伝説の人です。

 30代後半で結婚し、自身のことで精一杯で出産は考えられなかったという齋藤さん。その彼女が一度だけ“母にならなかった人生”を後悔した出来事があったといいます。そして、その時に蘇った、吉永小百合さんが結婚前後に語っていた言葉とは? 斎藤さんの新刊『年齢革命 閉経からが人生だ!』より紹介します。


私が産まなかった理由

 ぼんやりと、自分は子どもを持たないだろうと、20代の頃から思っていた。単なる予感で、理論的なものではなかったが、それが「結婚は遅くてもよいかも」という妙なゆとりにつながり、気がつけば30代後半、こんなにも自分のことで一杯一杯なのに、子どもがいる人生などもはや考えられないと思うようになっていた。

 結婚当初は、まだギリギリ出産に間に合う年齢だったが、そういう選択肢はないことを、パートナーにもその家族にも納得してもらったほど。

 自分のことでパツパツなのは未だに同じで、結局のところ、それが自分の運命だったのだろうけれど、一度だけ“母にならなかった人生”を強く後悔したことがある。

 『死ぬまでにしたい10のこと』という映画のプロモーションで、コメントとエッセイを依頼された時のこと。エッセイでは私自身の“死ぬまでにしたい10のこと”をあげてほしいと言われたのだ。

 これがじつに悩ましい作業だった。「死ぬ前に一番食べたいものは何か?」的な話題で盛り上がるのは、結局ただの戯言で、本気で余命数カ月を想定したら、正直何も浮かばない。

出産の選択肢がないことは「パートナーにもその家族にも納得してもらったほど」だったが…… ©beauty_box/イメージマート

 その映画の中では、まだ20代の女性が余命数カ月の宣告を受けるのだが、彼女は2人の幼い子どもをもつ母親で、10のうちには「夫以外の人と付き合ってみる」などもあったりしたが、「娘たちが18歳になるまで毎年の誕生日に贈るメッセージを録音する」「娘たちのために、新しい母親を見つける」など、母親としての悔恨や子どもを置いていく負い目が滲み出る内容が目立ち、フィクションとわかっていても、胸が締め付けられる。

 幼い子どもを残していく母親がどんなに無念か、それが想像できてしまうのは、自分にも母性の遺伝子があるからなのかもと思ったら、それ以上に重要なことなどあるはずがないと思考停止してしまい、いよいよ何も浮かばなくなっていた。

 だいたいがどうせ死ぬんだし、と思うと欲望は消え去るもの。“死ぬまでにやりたいこと”と、“死ぬと決まってからやっておきたいこと”は違うのだ。それこそ子どもでもいなければ、本気でやりたいことなどない。それが物の道理と思い知る。

 この時ほど、子どもがいない現実を虚しいと感じたことはなかった。思い残すことがない空疎感をひしひし感じた。そして今まで考えたこともなかった、自分の子孫を残せないことの意味を知る。誰かに何かを残すことのできない孤独も。

 だから、子どもを持たずにペットを飼っている人の“あるある”で、資産は動物愛護に寄付? さもなければ養子を取る? 大した資産があるわけでもないのに、そんなことが頭をよぎるのだった。

吉永小百合さんが繰り返した「産みたくない理由」

 しかしひとたび現実に戻ると、急増するニートやひきこもりの問題がにわかに目に飛び込んできて、今の時代に子どもを持つことの難しさやリスクが急に頭をもたげてくる。

 そこでふと蘇ったのが、吉永小百合さんが、1973年の結婚前後、結婚しても子どもを産まない、産みたくない理由を様々な場面で語っていたこと。子どもは好きだが、自分には育てる自信がないと。自分にも責任が持てないのにとても……と。

子役から活躍する吉永小百合さん。川端康成(右)の『伊豆の踊子』の映画化でも主演した。1963年撮影。©文藝春秋

 世間では子はカスガイと言うけれど、子どもで結びつく夫婦関係はいやであると。少なくとも当時、自ら「子どもを作らない」という宣言をする人は他にいなかった。まさに納得の上で、論理的に子どもを産まなかった人なのだ。

 そのことが当時まだ10代だった自分の中にもハッキリと刻みつけられていた。そういう考え方があること、しかも吉永さんの発言だったことは、強烈なインパクトを持ったから。

 きっぱりそう言える勇敢さと信念に尊敬を覚えたのは確か。自分自身も未来の社会に何やら不穏なものを感じていて、自分の子どもがまっすぐ育ってくれるかどうか、そこに自信が持てなかったから。

結婚前年、1972年の吉永小百合さん。©文藝春秋

 10代の頃の記憶を引っ張り出したのも、なるほどあれはこういう感慨だったのか、と数十年を経て改めて生々しい共感を覚えたから。また結局子どもを持たなかったエクスキューズのために、その伝説的な発言に多少ともすがってみたくなったからなのだ。

 本当にこれからの世の中で子どもを育てるのは並大抵ではなく、だからこそ、今この時代に子どもを育てている母親たちには、尊敬すら感じている。とりわけ働きながらの子育てには本当に頭が下がる。ただ、産まないことは自分にとってやっぱり必然だったと、そういうふうに気持ちを収めたのだった。

 そして、誰にも何も残せないという発想をやめてみた。誰にも残す必要がないからこそ、今できることがあるというロジックにシフトしてみた。ましてや人それぞれ使命があるならば、母にならない分だけ、何か世の中の役にたたなければまずいんじゃないか、何の役割も持たない大人になってはいけないのだと、思うようになったのである。

子どもがいない人生を振り返った吉永小百合さん

 ちなみに吉永さんは約10年前にも、子どもがいない生活を「平穏だった」と語っている。まさに折に触れ、その時代なりに、その年齢なりに、子どもを持たなかった理由を語ってきたのだ。

2015年、菊池寛賞授賞式での吉永小百合さん。©文藝春秋

 そして最近では、「映画は自分の子ども、そう思って一本一本大切にしていきたい」と語っている。そこでこんなふうに逆の発想を持つこともできるのではないかと思うようになる。「なるほど自分はこの役割のために産まなかったのだ」という理由を探していくという。

 それこそ死ぬまでにそれを探し出したいと思っている。子どもがいようといまいと、人生後半は自分のための人生になる。その時はじめて、自分の役割が見えてくるのだろうから。そして“全ては意味のあること”なのだから。

齋藤 薫(さいとう・かおる)

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストに。女性誌において多数のエッセイ連載を持つほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『“一生美人”力』(朝日新聞出版)、『なぜ、A型がいちばん美人なのか?』(マガジンハウス)など、著書多数。近著に『年齢革命 閉経からが人生だ!』(文藝春秋)がある。