面白い小説、と聞くとつい、どんなめくるめくストーリーが展開されるのかと想像しがちだが、話の筋らしい筋、起伏らしい起伏もないのに、やっぱり面白い小説としか言えない作品はある。本書に収められた六つの短篇小説は、みなそうだ。
たとえば最初の「新しいビルディング」を読んでみる。描かれるのは、入社三ヶ月のマミコが、ほとんど口もきいたことのない先輩社員から妊娠と退社の報告を受け、引継ぎをし、送別会においてもほとんど話さないまま、彼女の最終出社日を迎える、という日常のスケッチである。会社勤めの経験のある読者ならにやりとするリアルな細部――時間差でとる昼休憩、送別会の凡庸な挨拶など――をアクセントに、全体的にはシンプルで端正な文章で綴られる。
粗筋にしてしまえば愛想の少ないこの物語は、しかし読むと面白い。ただ、面白さの核を取り出し、これがその理由と、人に説明しがたいのもまた事実で、答えを求め、次の作品を読み進めることになる。
続く「お上手」も、一篇めと同じく若いOLが語り手である。床材に難のあるオフィスに勤める彼女は、ある日傷ついたヒールの靴を修理店に持ち込む。後輩に「ああいう人が好きでしょう」と指摘されて初めて、修理屋の男を意識し、その後も折を見ては熱心に観察を続ける。〈この男にはなんのとっかかりもない。(中略)優しそうだ、とか、おっかなそうだ、とか、神経質、無気力、温厚、剛健、どれにも当てはまりそうにない〉などと。
ここでたいていの読者は、主人公と修理屋の男との間に生まれるロマンスを期待=予想するにちがいない。小説において近づくものは関係しがちであると“近接の原理”を説いたのは、リカルドゥーというフランスの文芸批評家だったが、彼の説など知らずとも、小説内で主人公が異性と知り合ったなら恋はつきものと、読者の胸は逸(はや)る。しかし、その予想をするりと裏切るように青山七恵は二人を恋に落ちさせない。いわばお約束のドラマ性を退け、OLが靴を修理するだけの話(!)に仕上げることには潔さすら感じるが、ではこれがなぜ面白い小説たりえるのか? おそらくその秘密は、青山七恵の独特の「視線」にある。
思い返すに、デビュー作の『窓の灯』では、窓ごしに向かいの住人の生活を覗き見ることを日課とする女性が描かれたし、芥川賞受賞作『ひとり日和』の若き主人公・知寿は、同居する七一歳の吟子さんの台所の引き出しの中身や、老いらくの恋のさまをじろじろ見ることで、自身の青っぽい孤独感をやがて克服していった。
見ていないようで見ていて、気のないふりだけど興味津々。こうした非対称のまなざし――正面から相対するのでも、横並びで同じ方向を向くのでもない、いわば斜め四五度からの視線――は、本書でも申し分なく発揮される。