私がロジスティクスというものに興味を持ったきっかけのことを、今でもよく覚えている。むろん、そんなものに興味があると自覚したのはもっと後だし、そもそも「ロジスティクス」という言葉自体、当時は知らなかった。いわゆる兵站だの物流だのを進んで調べるようになったのも、小説家になってからだ。
だが、その時のことは今でも明確に思い出せる。
あれは、一九八〇年代の終わり。私が某生命保険会社に就職した年のことだ。
私は男女雇用機会均等法一期生で、四大卒だったため、入社面接の際に総合職を勧められたのだが、事務職を希望した。なぜなら、世の中は事務でできているし、それが社会の基本だと信じていたからだ(そしてそれは正しかった)。しかも、私には全く事務処理能力がないことを自覚していたので、社会の基本を一から学ばねばならぬ、という信念があったのである。
結果、都内某支社の営業事務チームに配属になったが、職場の人々は史上初、四大卒の女子が来ると聞いて「そんなのどうやって使えば」とパニックに陥っていたらしい。が、私が全く世間知のないただの打たれ強いアホだと気付くやいなや、先輩方(ほぼ全員女子)にガンガン教育と指導を受けた。まがりなりにも社会人になれたのは、あの時の先輩方のご鞭撻の賜物と今でも感謝している。
ある日のことである。
午後いちばん、先輩方が開けた段ボール箱を囲んで、険しい顔でブツブツ文句を言っている。
「こいつ、ホントブスだな」
「ああ、すっげえブスだ」
ブス、ブス、と繰り返しているので、なんだろうと覗き込むと、私の直属の先輩が「ちょっと、これ見てみ。こいつ、ブスだから」と箱の中を顎で示したのである。
私はきょとんとした。
それは、本社の契約課が送ってきた帳票類のようだった。
「紙と人で仕事をしている」と言われている生命保険会社なので、帳票類は死ぬほどあるし、厳重に数を管理し金庫保管するような書類もあるし、べらぼうな種類の約款もあるし、しかもそれらはしょっちゅう改訂している。倉庫もどこも紙だらけだ。
どうやら、先輩方が、不測の事態で足りなくなった帳票類を、急遽頼んで送ってもらったものらしい。
箱の中は、ごちゃっとしていた。いろいろな帳票がまぜこぜで入っていて、送り状もない。その辺りにあったものをざっくり放り込んでとにかく送った、という感じ。
人にモノを送るなら、ましてや仕事で使うものを送るのであれば、開けてすぐに分かりやすく、使いやすいようにセットするのが当然であろう。いくら社内便とはいえ、わざわざ急ぎで頼まれたことの意味も、この帳票の向こうにいる営業部員、更にその向こうにいる顧客のことなどこれっぽっちも見えていないのは明らかだ。
つまり、先輩方の言う「ブス」というのは、おのれの仕事が周りにどう影響するか、この先どのような結果を生むか、という想像力のない人間のことを指すのであった。
かくも強烈な一言であったので、その後転職してからも、更に専業作家になってからも、しばしば筋の通らない仕事や、無神経な対応に出くわす度に、思わず今でも「ブス!」と叫んでしまう。先輩方のご鞭撻は、今なお「三つ子の魂百まで」のごとく、刷り込まれたままなのであった。
子供の頃から、毎年TVで『大脱走』を見てきた。
むろん、私も最初はスティーブ・マックイーンに憧れた。バイクでの逃走シーン、最後に独房で野球のボールを壁当てするシーン、どれもめちゃめちゃカッコよかった。
が、大人になってから、DVDやリバイバル上映で見るうちに、どんどん調達屋のジェームズ・ガーナーに惹かれるようになっていった。あの飄々、淡々とした顔で「なんとかする」人。そういう、実務能力や、問題解決能力のある人に憧れたし、そうなりたかったのだ。
「なんとかする」人は、あまり自己主張しないし、なかなか目立つところには出てこない。
そういう人を主人公にした小説を書きたいとずっと思っていた。
当初の案では、恐ろしく事務処理能力に長けた地味な人物が、ひたすら事務処理をし問題解決をしていくうちに、いつのまにか最高権力者に上り詰める、という逆『チャンス』(アメリカ映画。全く何も考えていないピーター・セラーズ演じるチャンスが、周囲が勝手に誤解することによって、あれよあれよというまに大統領候補に祀り上げられていく)みたいな話を考えていたのだが、それはアイデアストックに入れたままになっていた。
それが再燃したのは、いつのことだったかよく覚えていない。
たぶん、東日本大震災の時に、過去に何度も三陸への支援物資の物流拠点になってきたという遠野の人たちが、地震直後から物資の受け入れ準備を始めていた、という話や、ホンダがカーナビの交通データを集めて、どこの道が通れるか通れないかをいちはやく公開した、という話を聞いて、文字通り物流というのは人間にとって死活問題なのだ、と思ったからかもしれない。
特に、昨今、「ブス」な大統領、「ブス」な経営者、「ブス」な政治家が世界にも日本にも溢れていて、真っ当な仕事をする人が大事にされていないと感じることがあまりにも多く「キモチワルイ」ので、祈りと願いを込めた結果、梯結子が誕生した。
「結子の調達人生」を描こうということで、自衛隊のロジスティクス担当、国際機関やNGO、NPOの方々にもいろいろお話を伺ったのだが、残念ながら、この「青雲編」の最後に書いたとおり、話が全くそこまで辿り着かなかったのは、ひとえに私の読みが甘かったせいである。申し訳ありません。次作、「熱風編」を気長にお待ちいただければ幸いだ。
取材した皆さんに、事前にアンケートを送った時に、設問の最後に次のような項目を入れた。
・共感するのはどちらですか?
「善は微に入り細にわたって」
「終わりよければすべてよし」
アンケートに答えた全員が、「終わりよければすべてよし」を選んだのが印象的であった。
やっぱり「なんとかする」人は、軽やかに融通無碍でなければ、やっていけないのである。
二〇二五年八月
恩田 陸
「文庫版のためのあとがき」より







