『ようやくカレッジに行きまして』と光浦靖子さん。

 50歳で単身カナダに留学した光浦靖子さん。カナダで働くためのワークパーミット(労働許可証)を得るために通ったカレッジでの日々を描いた、カナダ留学エッセイ『ようやくカレッジに行きまして』(文藝春秋)が話題を呼んでいます。

 過酷で多忙で青春だったカレッジを卒業し、無事に3年間のワークパーミットを獲得。今は、自分の得意なことや経験を活かして、カナダで働くことを実践しています。

 そんな光浦さんの現在の暮らしと、これからの未来について話を聞きました。


今は広く浅く、一人総合商社みたいな感じでトライしている

窓辺に座る光浦さん。

――カナダ1年目を綴ったエッセイ『ようやくカナダに行きまして』に出てくる人たちとの交流は続いていますか?

 はい。ホームステイをしていたホストマザーのグレンダたちにも会いに行ってますし、『ようやくカナダに行きまして』のカバー撮影で出会ったダコタ(年配のカナダ人女性)とは、今回帰国する前日にも会っていたんです。

「シングルレイディーズクラブ」っていうのをダコタが作りまして。それは私の語学学校のお友達と3人のクラブで、月に1回ぐらいごはんを持ち寄ってランチかディナーをするんです。

 ダコタは私にとって、こんなふうになりたいと初めて憧れた女性。1人暮らしでアーティストでもあるから創作することが好きだし、いつも怒ってるし、いつもすごい笑ってるし、好奇心旺盛で、楽しいことを見つけるのが得意だし。尊敬するところがいっぱいあって、自分もこういうふうに歳をとっていきたいと思う、お手本にしたい人です。

――3年間のワークパーミットを無事とって、今はどんな活動をしているのですか?

 手芸のワークショップとトークショーは定期的に開催していて、今、カフェでも働いています。自分が興味を持てて、自分ができることを、今は広く浅く、一人総合商社みたいな感じで、いろいろトライしてます。キッチンで働くのは、やっぱりキッチンを勉強したからだし、手芸は長いことやってきたことだし、トークショーは芸能界をやってきたからだし、これまでの経験を活かしたことをひとつひとつ。

――光浦さんのInstagramにも上がっていますが、手芸のワークショップは生徒さんたちとの交流が楽しそうですね。

 ワークショップの募集は、その都度Instagramでしているのですが、ありがたいことにすぐに埋まるんです。そこでひとつのコミュニティが生まれています。

 去年、冗談で、「最終的には独立したおばさんたちの村を作る!」って話していたけれど、今、ヤスコの小さな教室ができて、みんな喜んで来てくれて、自分がこういうことをやりたいと思っていたことが、徐々に形になっていますね。

純烈ってこういう気持ちなのかなあって

光浦靖子さん。

――生徒さんたちは自分たちのことを「ヤスコチルドレン」と呼んでいると伺いましたが。

 そう、「ヤスコチルドレン」(笑)。

 今、全部でどのぐらいだろう。20人ぐらいはいるかな。みんな50代のオバサンなのに「ヤスコチルドレン」って名乗っています。

 これも最初、冗談で「ヤスコチルドレン」って言ったら、「私もヤスコチルドレンになりたいんです!」というオバサンがいっぱい来て、みんな私のことを「ヤスコ先生!」「ヤスコ先生!」と呼ぶんですよ。今、トークライブを3カ月に1回くらい、劇場を借りてやっているのですが、そこも、前2列は「ヤスコチルドレン」がファンクラブみたいに陣取っているんです。「いつもありがとうございます!」って言いながら、純烈ってこういう気持ちなのかなあって(笑)。

「先生! 1列目取りましたよ!」って喋りかけてくるから、「こっちが喋ってるんだから喋るんじゃない!」って遮って言う。ちょっとコント入ってるんですよ。

――確かにコントですね(笑)。

 生徒さんら、みんな頭がいいのかな、よく空気を読んでくれるなと思って。でも、飲み屋の人が言っていましたが、常連さんが常連さんを連れてくるというから、最初に来てくれた人たちがとってもよかったのかな。そこから「こういう教室ですよ」ってことが伝わっていって、どんどん生徒さんが増えている感じで。

――口コミで広がっている感じなんですね。

 来てくれる人たちは、手芸が趣味の人もいれば、手芸が趣味じゃない人もいて、みんなそれぞれの仕事があり、それぞれのキャラクターがあるわけだけど、いつも言っているのは「この現場では偽善者を演じていいのよ」ってことなんです。

「ヤスコのクラスではフレンドリーな優しい人を演じなさい。ディズニーランドだと思いなさい。ディズニーランドに行ったら耳つけるでしょ。はしゃぐでしょ。子どもでいることが正しいみたいなマジックにかかるでしょうが」って。

 いつもは仕事場でカリカリ目を吊り上げていて、そうじゃなきゃやってられないポジションの人が、うちのワークショップの場では、すっごい朗らかでおしゃべりな人に変身してもいいわけですよ。それを「整合性が取れてない」みたいなしょうもないこと言う人なんかいないんだから。

 そうやってここが居心地のいい場所になればいいし、それぞれで仲良くなってくれたらいいんです。

――「サードプレイス」ではないですが、暮らしの中に、自分の居場所をもうひとつ持つというのは気持ちを楽にしますよね。それを光浦さんはワークショップという場所を通して作っているのかもしれません。

 もうひとつ場所を持つことは本当に大事だと思います。私はそれがたまたまカナダだったけれど、海外に行くとかじゃなくていいんですよ。同じ趣味を持つ人たちと一緒に遊ぶとか、本当にそういうことでいいと思うんです。

 私も最初にカナダに来た時は友達もいない状態からのスタートだったから、コミュニティセンターに行って、英語を教えてくれるクラブを全部回ったんです。そしたら、そのうち、居心地のいい場所に出会ったり、同じような年齢とか感覚の人たちと出会ったりして、すごく仲良くなった。今では、先生も含め、英語クラブとは別にウォーキングクラブを作って、毎週火曜日2時間歩いています。

合格点が低くなったから、生きることがすごくラクになった

光浦靖子さん。

――2027年でワークパーミットが切れるとのことですが、その後もカナダに住みたいと思っていますか?

 カナダにいると、気持ちがラクなんですよ。だけどそれは、街を1人で歩けるとか、毎日公共の電車に堂々と乗れるとか、そういうことなんです。

 日本にいた時は、周りの目が気になって、すぐにネットで何か言う人たちもいるし、どこに行くにも隠れるようにして移動していたんですよ。でもカナダでは私のことを誰も知らない。匿名と匿名じゃないってこんなに違うんだなと思いました。

 ワークパーミットが切れても、その後は働かずビジタービザに切り替えればカナダで暮らすことはできるのですが、働く方が楽しいんでね。働くことって、やっぱり頭も使うし、ちょっとストレスがあるでしょ。そのちょっとのストレスが一番健康にいいんですよね。それを身体で感じるんですよ。

 で、昔みたいに完璧主義じゃないというか、自分ができなくて当たり前と思っているって、やっぱりいいですよ。合格点が低くなったから、生きることがすごくラクになったし。

――日本に戻るとしても、働き方が変わっていきそうですね。

 変わると思います。暮らす場所も、東京ではなく緑の多い田舎に住みたいですね。それでやっぱりワークショップを定期的に続けていきたい。居心地のいいカフェをやりながら、手芸のワークショップをやって、自分の作品もちょっと売って、姪っ子を働かせて、コーヒー屋さんだけど、香りが殺し合うカレーもあって……、とか、いろいろ妄想して楽しんでいます。あとはやっぱり本を書いていきたいですね。

光浦靖子(みつうら・やすこ)

1971年生まれ。愛知県出身。幼なじみの大久保佳代子と「オアシズ」を結成。国民的バラエティー番組『めちゃ2イケてるッ!』のレギュラーなどで活躍。手芸作家・文筆家としても活動し、著書にエッセイ『傷なめクロニクル』『50歳になりまして』『ようやくカナダに行きまして』、手芸作品集『靖子の夢』『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』など多数。2021年からカナダに在住。