この間、といってももう二、三年前になる。久しぶりに上野さんに会ったとき、上野さんの髪がとても短くなっているのに目を奪われた。その前から短かったのかもしれないが、気がつかなかった。閉経を過ぎると、女の髪は短くなる。どんどん短くなる。世間の閉経過ぎの女たちを見てごらんなさい、みんな短い。あたしにはそれが究極の自由さのように思える。
うちの母も閉経過ぎからどんどん髪が短くなり、宝塚の男役みたいになり、自由になり、最後は寝たきり老人仕様の刈り上げになって、面倒くさいものをぜんぶ捨てて死んだ。いや母なんてただの女だが、もっと凄い人もいる。お名前を出してほんとに恐縮だが、瀬戸内寂聴先生の髪型はこんなもんじゃない。自由である。
上野さんのあの短さを極めた髪型もまたしかり。今にも空に浮かびあがり、宇宙の向こうに飛んでいきかねない自由さを、潔さを、明るさを、攻撃性を、こだわりのなさを、柔軟さを、他人への共感を、上野さんは、あの髪とともに身につけたような気がしてしかたがない。そしてその髪そのままの上野さんを、あたしたちはこの本の中に見るのである。
これまでに何度、あたしは上野さんに、解説や書評を書いてもらったかわからない。そのたびに上野さんはいつもまっ正面から、あたしの仕事を吟味してくれた。そして厳しくも温かい、これからの仕事につながる批評をくれた。ほんとにありがたかった。たまには恩を返さなくちゃと思い、今こうして苦吟しておる。
上野さんの得意なことはあたしはほんとに苦手なのだが、でもまた、苦吟しながらも、上野さんはあたしに、そんなことを求めちゃいないだろうという絶対的な信頼感を抱いている。
上野さんがあたしに求めているのは、いや感謝をこめて「求めてくれるのは」と言おう、ただ一つ。詩を書くことだ。
あんたみたいなエッセイはだれにでも書けるが、あんたみたいな詩はだれにも書けない、詩を書け、と、昔、詩をやめて路頭にまよっていたとき、ばったりと会った上野さんに言われた。髪はもうソバージュではなかった。でも今ほど短くもなかった。あの言葉は骨身に沁みた。そのおかげであたしは詩に戻った。ほんとにありがたかった。だからあたしは上野さんへの恩を返すためにも、詩を書いて、詩人の業に食われ尽くす。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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