驚きだった。上野さんは生徒会長なだけではなく、ときどき超人に見えて困っていたのだ。しかし、そうやって読んでいけば、上野さんのペットは恐竜や一角獣じゃなくて普通の文鳥だったし、スキーに行けば、テレポートしないでリフトを使う。つまり上野さんは、生徒会長で超人かもしれないが、同時に生身で繊細なひとりの人間であったのだ。
上野さんも美容院に行くことを知った。それはそうだ。上野さんの髪はいつもきれいに手入れされている。墓参に行くことも知った。それは「上野家」と書いてあるはずだ。きょうだいの一人であることも知ったし、なにより父の娘だったことも知った。いやそれなら、前からいろいろと読んで知っていたが、ここの上野さんは、もっとふつうに日常的に父の娘だった。あたしがそうだったみたいに。
上野さんの上野節は、言葉が上野さんから離れて社会に入り込み、人々の心の上澄みをすくい取ろうとするときに現れるような気がする。今回もそうだ。ご両親について語る箇所にそれが出てくる。どんな親でも親であるかぎり滋養になり、どんな親でも親であるかぎり毒になる。あたしは親について考えていて、そういう結論にいたった。上野さんの親子関係にも、僭越ながらそういう感想を抱く。
初めて会った時の上野さんの髪はソバージュだった。八〇年代の終わりか九〇年代に入ったばかりの頃だ。ソバージュといったら、意味は「野性の」「野蛮人」である。あの髪型は実に上野さんらしかった。あの頃の上野さんは、切れば血の出るような包丁みたいに考えたし、言葉を口に出した。切れ味は鮮やかで、気持ちがよかった。あたしも今よりはよほどキリキリしていたので、実はひとのことを言えた義理ではない。
あたしたちは雑誌「太陽」で「のろとさにわ」という連載をやっていた。コラボレーションの企画である。上野さんがお題を出して、それであたしが詩を書いて、上野さんが読み解くのである。上野さんは何でも解説した。あたしはむしろ何も考えたくなかった。考えりゃわかることも、詩に書きたくなかった。立場が違うから当然なんだが、資質の違いを強烈に感じた。そのうち、しつこく解説してくる上野さんがうっとうしくてたまらなくなった。うっとうしいうっとうしいと詩のなかにも書いた。あたしは返ってくる上野さんのことばを読まなくなった。ただお題だけもらって書きつづけた。でも、そこには上野さんがいた。かならずいた。そして詩を読んでくれた。上野さんにひきずられ、上野さんに向けて、あたしはことばを出しつづけた。コラボとしては最高だった。
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