ミステリー、イヤミス、ホラーなど、様々なジャンルで読者を驚かせ続けてきた作家・矢樹純さん。7月24日、初の警察小説『刑事総務課は眠らない』を刊行します。不眠症の女性上司と、1日1時間未満しか眠れないショートスリーパーの男性部下という異色のバディが事件の真相を追うこの作品は、どのようにして生まれたのでしょうか。創作の背景から登場人物の造形、睡眠との意外な接点まで、たっぷりとお話を伺いました。
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「警察小説を書いてほしい」という一言
――今作は矢樹さんにとって初めての警察小説です。このジャンルに挑もうと思ったきっかけを教えてください。
矢樹 実は、連載が始まる前の打ち合わせでは、どのような作品にするかまったく決まっていなかったんです。そこで、当時の担当編集者さんにこちらからお尋ねしたところ、ピンポイントで「警察小説を書いてほしい」とおっしゃって。
ただ、書いたことがなかったのはもちろん、読む側としても、横山秀夫先生の『64(ロクヨン)』やジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライム」シリーズといった代表的な警察小説しか読んでいなかったので、正直なところ難しそうだなという気持ちはありました。
――警察小説特有の難しさとして、リアリティの問題があると思います。取材もされたのでしょうか。
矢樹 警察官の方に直接お話を聞く取材は、なかなか引き受けていただけないことも多いと聞いていたので、取材には二の足を踏んでいたんです。そのとき編集者が教えてくださったのが、米澤穂信先生の『可燃物』は、警察への取材を踏まえてではなく、ご自身の中の「こういうものを書きたい」というところから生まれている、という話でした。それをうかがい、「では自分なりの警察小説だったら書けるかもしれない」と思い、チャレンジすることにしました。
実際の取材としては、神奈川県警の庁舎の見学ツアーに参加させてもらいました。大学生の娘を連れて(笑)。現場に足を運べたのは、そのくらいでした。
将棋棋士との会話から生まれた「睡眠」というテーマ
――作品には「睡眠」という独特のテーマが設定されています。これはどこから着想を得たのですか。
矢樹 実はもともと、睡眠とはあまり関係のないところからスタートしているんです。私、日本推理作家協会の将棋同好会に所属していて、完全な初心者として入会したんですけれど、ある練習会の打ち上げの席に、棋士の先崎学九段がいらっしゃって。
せっかくなので、かねてから不思議に思っていたことを伺ったんです。私は詰将棋でも三手先を読むのがやっとなのに、プロ棋士の方は九手先まで当たり前に読まれると聞いていたので、頭の中でどうやってそれを読んでいるのかを聞いてみました。
ネットフリックスのドラマ『クイーンズ・ギャンビット』のように映像が浮かぶのかなと想像していたんですが、先崎さんの答えは「記号か信号のようなもの」が浮かぶ、ということだったんです。もう理解不能で、すごい、と思いました(笑)。
でも、その「言葉でも映像でもない何かで思考する人間」というのが、探偵や刑事として登場したらおもしろいな、とずっと頭にありました。
それで、警察小説のお話をいただいたとき、どうにかしてその「記号や信号のように考える刑事」を登場させられないかと考えました。そこで思いついたのが、眠っている間に記憶が整理され、言葉にも映像にもならない何かとしてパッと浮かぶ、という設定です。
そうなると、普通の睡眠ではだめだなと思って。短い睡眠時間の中に起きている間の膨大な記憶が凝縮されて整理される、という仕組みだったらできるんじゃないかと。そこから、根津梗士郎というキャラクターが生まれました。
「眠れない」二人が出会う理由
――主人公は月代杏果と根津梗士郎という男女バディです。月代杏果は、かつて捜査一課にいた三十代前半の女性刑事。2年前の未解決の誘拐事件をきっかけに不眠症を発症し、職務中に失態を犯してしまったことで刑事総務課犯罪統計係へ異動になります。
根津は元機動隊員で、9年前の災害が原因で脳に障害を負い、1日に1時間未満しか眠れなくなってしまった警察官です。まず、「根津梗士郎」という名前には、何か意味が込められているのでしょうか。
矢樹 はい。柴田錬三郎さんの「眠狂四郎」の逆、ということで。中年センスで申し訳ないのですが(笑)。
――根津というキャラクターに込めた思いを聞かせてください。
矢樹 ご依頼いただいたのは警察小説ですから、私がかっこいいと思う警察小説のイメージとして横山秀夫先生の作品があって、地道に足で捜査を積み上げていくスタイルへのリスペクトがあります。
根津は確かに特殊な能力を持つキャラクターではあるんですが、その能力が発現しているときは、本人はたいてい眠っているんです。だから自分がすごいとはまったく思っていない。あくまで警察官としての職責を果たそうとする、生真面目な人物として描きたかったんです。
また、機動隊時代も真面目に仕事をしていた人物で、異動した先の新しい仕事を一生懸命覚えようとする。そういう熱心な警察官です。
「芯が通った」瞬間
――杏果は、30年前に姉が誘拐されるという家族の悲劇に見舞われています。総務課統計係メンバーとして小さな謎を解きながら、この大きな謎も動かしていく構成は、書いていてどのようなご苦労がありましたか。
矢樹 すごく苦労しました。連載という形式でしたので、一話で読んで満足していただきながら大きな謎も同時に動かしていく、という構成は正直「無理じゃないか」と思っていました。
――その難所をどのように乗り越えたのでしょうか。
矢樹 私は、プロットよりも本文を書きながらキャラクターをつかんでいくタイプなので、プロットの段階では大きな謎に絡む重要人物についてなかなかつかめていませんでした。ですが、中盤あたりで、“ある人物”を書いたとき、物語全体に芯が通るような感覚をつかめて。そこでほっとしました。それまではふわふわした感じで書いていたのが、着地点が見えた、という感じです。
矢樹さんの睡眠術
――作品のテーマである「睡眠」にちなんで、矢樹さん自身の眠りについても聞かせてください。
矢樹 入眠自体は大丈夫なんですが、寝てから目が覚めてしまう、いわゆる中途覚醒があって。だからすごく安眠タイプというわけではないんです。なので、なるべく寝る前にスマホを見ないようには心がけています。
――どのようなルーティーンで眠っていますか。
矢樹 布団に紙の書籍と電子書籍を両方持ち込んで寝ます。まず読書灯で紙の本を眠くなる直前まで読んで、そのまま寝落ちしそうになったら、電子書籍の明るさを落とした方に切り替えて、そのまま意識が失われるまで読む、という感じです。
――2冊ともミステリーですか?
矢樹 大体ミステリーですね。あとはホラーも。
バディジャンル好きにも、本格ミステリーファンにも届けたい
――最後に、本作を手に取る読者に向けてメッセージをお願いします。
矢樹 根津が夢の中でヒントを得るという特殊な設定ではあるのですが、ミステリーとしては本格寄りの内容になっています。それから、杏果と、最初は困った部下として杏果の前に現れる根津が、お互いを信頼して支え合うような関係に変わっていく、バディとしての変化も読みどころになっていると思います。
睡眠という切り口に加え、二人の警察官がそれぞれの立場で真実を追っていく、どっしりとした警察小説にもなったと感じています。刑事ドラマがお好きな方にも、ミステリーファンの方にも、広く楽しんでいただけると嬉しいです。
矢樹純さんの初の警察小説『刑事総務課は眠らない』は、2026年7月24日に文藝春秋より発売です。また、7月8日発売の連作短編ミステリー『怖い客』(PHP文芸文庫)も刊行中。洋菓子店やコールセンター、葬儀社など様々な場所に現れる「怖いお客」とスタッフの攻防を描いた作品です。こちらもあわせてお楽しみください。









